2007年10月13日

ドイツの分析系認識論

最近はドイツでも分析系の認識論がさかんになってきているようだ。学会も数多く開かれているし、それが本になって出版されている。また、分析系認識論の入門書もいろいろと出版され、なかなか土台が整ってきているのではないかという印象を受ける。

僕はかつてドイツ哲学をやっていたとはいえ、2001年3月以降、ドイツ語の論文は一つしか読んでいない。しかし、最近こうした状況を見るにつけ、再びドイツの論文を読んでみたいという思いになってきた。ただドイツの認識論者の論文は英語で書かれたものを最近いくつか目を通したが、やはり英語圏のものに比べると、平均的レベルは低い。

ここで何人か僕の気になるドイツの分析系認識論者を挙げておこう。Gerhard Ernst、Thomas Grundmann、Antonia Barke。この3人の中では、Antonia Barkeの論文がもっとも興味深かった。従来の文脈主義に変わって、epistemic contextualismと彼女が呼ぶ、新しい立場を出そうとしている。ただ、これはコメンタリーで指摘されているように、彼女が考えているほど既存の文脈主義と異なってはいない。彼女は最近英語で本を出版して、非常におもしろそうなので、今注文しているところである。Thomas Grundmannは、Michael Williamsの批判論文を書いていて、まあだいたい正しいが、あまり面白みのない批判をしている。彼は他にもいろいろ書いているようで、もう少し読んでみたい。Gerhard Ernestはかなり大御所っぽいが、他の人の論文に対するコメンタリーしか読んでないので、彼の本も読みたい。

しかし今の僕のドイツ語力はおそらく学部生の頃よりもないので、彼らのドイツ語の著作を読むためにもう一度勉強し直さなければならない。かねてせっかく勉強したドイツ語を完全に忘れるのはいやだなと思っていったので、これはいい動機になる。

こう考えると、日本でももう少し分析系認識論がさかんになってもいいのにな。だれか入門書でも翻訳しないかなあ。ただ21世紀に入ってから、いろいろと新しい立場が現れ、これらをすべて網羅するような入門書はこちらにもまだない。もうすぐBlackwellから、"Companion to Epistemology"と、"Epistemology: An Anthology"の第二版が出るが、これは結構最近の動向を反映したものになるはず。1版も数年前に出たばかりだが、もう大幅に変えなければならないほど、最近の動向はめまぐるしいということか。ただどちらも入門書ではなく、前者は辞典で、後者は論文集。前者は、かなりつかえます。認識論関係の辞典でよりコンパクトなものがほしい人は、Duncan PritchardとMartijn Blaauwの"Epistemology A to Z"もいい。これはPhilosophy A to Zというシリーズの1冊だが、このシリーズは便利。
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2007年10月10日

知識の価値と文脈主義

2000年に入ってからの認識論の中心テーマは、ほぼ二つに絞られる。一つは文脈主義を巡る問題、もう一つは知識の価値の問題。この両者は実におもしろい関係にある。

知識の価値という問題は、プラトンが知識を扱う際に取り上げたもので、知識が真なる信念よりも価値あるものとすれば、いったいその価値は何に由来するのかという問題。この問いは古代ギリシャ以後忘れ去られて、近年ようやく再発見された。いわゆる徳認識論などもこの問題に対する一つのスタンスとして理解されることが最近は多い。この問題はまた、真なる信念だけでなく正当化された真なる信念と知識の価値的相違の問題として扱われる。

さてこの知識の価値問題に対するプラトンの答えは以下のものだ。

ダイダロスの作品を所有していても、それが縛りつけられていないならば、ちょうどすぐに逃亡する召使と同じことで、あまりたいした値うちはない。じっとしていないのだからね。しかし、縛りつけられている場合は、たいした値うちものだ。なにしろ、たいへん立派な作品だから。(中略) 正しい思わくというものも、やはり、われわれの中にとどまっているあいだは価値があり、あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした価値があるとは言えない--ひとがそうした思わくを 原因(根拠)の思考 によって縛りつけてしまわないうちはね。(中略) 知識は、縛りつけられているという点において、正しい思わくとは異なるわけなのだ。 [『メノン』、藤沢令夫訳、岩波文庫、1994年、109-110]

簡単に言えば、知識は単に真なる信念よりも安定していて、簡単に消え去ったりしないということである。それ故、長期的に(知識に基づく)行為の成功を保証することができる。

さて文脈主義は、「SはPを知っている」という文のトークンは異なった真理条件、そして真理値を持つという立場である。この立場によれば、ある文脈でこの文のトークンが真であっても、文脈が変われば、別のトークンは偽である。これをmaterial modeで表現すれば、Sは文脈に応じては知識を有したりなくしたりするということになる。これはプラトンの見解と真っ向から対立するわけだ。

ただまあ、最近知識の価値問題に取り組んでいる人たちは、このプラトンの見解には全然コミットしていない。プラトンの知識観は現代の感覚からすると相当おかしいので、まあ仕方がない。ただプラトンの洞察の1部は、近年の議論でもさかんに援用されている。ただ僕はこの問題はあんまり勉強してないんだよなー、全く不勉強だなあ。
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2007年10月03日

ひさしぶりに

拠点をmixiに移して活動していたんだけど、あまりにも使いにくいのと、哲学関係以外の人も見ることが多くなってきて、コアな哲学の話がしにくくなってきた。だから哲学の話題はここでしようかなとも考えている。

日本では哲学関係のブログは1時ほども盛り上がっていないような気がする。海外では相当な数があり、高名な哲学者も書き込んでいて活発なんだけどなあ。まあ僕の専門の認識論はとくに日本では認知度が低いということもあって、あんまり認識論の話にならないなあ。

僕は昔から日本のメインストリームとはほど遠いところにいるなあという感覚が強い。日本でも認識論は一時若干盛り上がる気配があったけど、どうなのかな。

まあ、これからぼちぼちと哲学の話を書き込んでいきます。
ラベル:お知らせ
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2005年06月24日

帰郷

実に1ヶ月ぶりの更新になってしまった。留学のために、10年以上住んだ下宿を引き払い、実家に身を寄せている。 感慨にふけるまもなく、準備に追われて、気付いたら引っ越し当日を迎えてしまった。何しろほとんどのものを捨てたにせよ、 本が5000冊くらいあり、多くの人の手を借りてようやく準備が整ったくらいなのだ。この場を借りて、その人たちに感謝したい。

カナダへの出発まで後一週間もなく、かわらずどたばたし続けると思うが、向こうでもこのブログは書くつもりである。というわけで、 本格的な再開までもう少し待って頂きたい。

posted by hakutaku at 19:54| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

読書

最近読んでいる本は、Martin Kuschの" Knowledge By Agreement: The Programme Of Communitarian Epistemology"である。知識の担い手は、個人ではなく共同体であるというテーゼを掲げ、 その含意を様々な立場の批判と共に詳述している。今まで読んだところだと、基礎付け主義の批判がなかなか面白いなと思った。 こういう批判は大いにありそうなものなのだが、今まで聞いたことがなかった気がする。とにかくいろいろな立場が検討され、批判されてゆく。 マクダウェルの批判などもあって、誰かに意見を聞いてみたい気もするな。

posted by hakutaku at 01:27| 兵庫 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

グイン・サーガ

昨日は久しぶりに読書。グインサーガ101巻『北の豹、南の鷹』を読む。うーむ、相変わらず台詞ばかりで、描写は少ない。 しかも大仰で中身のない形容詞の連呼に悲しくなる。昔はこんなじゃなかったのになあ。スカールが雄弁になりすぎて、 別の人のようになっている。このタイトルも予告時は興奮していたのだが、本来スカールがグインに伝えると構想されていたはずのグル・ ヌー情報を、既にグインが持っているので、スカールの存在意義がなくなってしまっている。最近のグインサーガは読むたびに悲しくなるが、 やめられないのだ。

posted by hakutaku at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

き、記憶がー

キャンセル待ちの結果、無事に航空券をゲット。ほっと胸をなでおろす。実家に近い、名古屋国際空港から飛ぼうと思っていたのだが、 カナダ行きがなかった、格安チケットだからかな。名古屋から成田まで飛んで、そこからデトロイト経由でトロントというルート。 まあ標準的だし、待ち時間も少ない。良かった良かった。

某大学の先輩とセラーズについて話す。最近全然セラーズを読んでなかったので、いろいろなことを忘れている。たった2, 3年前のことなのに、あれだけ読んでも忘れてしまうんだな、と悲しくなる。

セラーズは古典的経験主義のドグマとして、知識の究極的基盤は感覚与件であるという認識論的基礎付け主義と、 概念の内容が感覚与件に由来するという考えの二つを挙げる。言うなればセラーズ版、経験主義の二つのドグマだ。「経験主義と心の哲学」では、 この両者が明示的に区別されることなく批判されている観が強い。しかし、最近のマイケル・ウィリアムズの解釈などを見ると、 セラーズの焦点はあくまで後者にあり、後者の問題が解決されれば、基礎付け主義の誤りも同時に明らかになるとされている。セラーズの関心は、 認識論にはなく、タイトルが示すように、あくまで心の哲学にあるというのが、彼の解釈である。この解釈をとると、 かなりすっきりする部分も多いのだが、そこまで断定できるのかどうか?セラーズはこのドグマ二つは絡み合っているといっているので、 両者を明確に分離しようと意図していなかったようにも思える。

posted by hakutaku at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

移転一日目

さて、移転第一日目である。

留学準備だけど、ビザ申請の書類をようやく昨日カナダ大使館に送ることができた。留学の目的や予定を英語で書かなくてはいけないのが、 一番面倒だったな。不首尾がなくて、無事にビザが取れますように。なにしろ6月30日からトロントでの宿を予約してあるので、 一回でもビザが不許可で、再申請になったらもう間に合わないのだ。

第一回にしては情けないが、本日は忙しいので、これまで。

posted by hakutaku at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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