2011年08月17日

14th Congress of Logic, Methodology and Philosophy of Science

7/19から8/15日まで、ヨーロッパで2つの学会と、1つのサマースクールに参加してきました。多少記憶の薄れているところもありますが、自分の記録のために、簡単な日記を思い出して記してみました。

7/20 ~ 7/26
CLMPS (14th Congress OF Logic, Methodology and Philosophy of Science), Nancy, France

7/20
前日にカナダを発ち、朝のうちにド・ゴール空港に到着。まずRERでパリ北駅に移動。三年前にも来たのである程度分かるわいと思ったら、ここから東駅に行くのに迷う。すぐ近くのはずなのに、地下鉄の駅と間違えたりしつつ、40分くらいうろうろして、ようやく到着。次の列車まで一時間もあり、しばしのんびり。

会場について、いろいろな学会グッズをもらう。この学会は会費が高いのだが、昼飯、飲み放題のコーヒー、ジュース、おやつのパンなどが無料で、さらにおみやげや、リュックサックまでくれた。僕は学会からの援助で、学会費、宿代が免除なので、とても得した気分。宿も、ホステルみたいなところかと思っていたら、個室で、シャワーまでついている。ネットも遅いけどワイアレスでつなげて、まるで不満の余地がなかった。

学会に参加し始めてすぐに、多くの発表がキャンセルになっているのに気付いた。まあ、これだけ大きな学会で、要約の締め切りもかなり早かったので仕方ない。問題だと思ったのは、まず発表と発表の間に休憩がなく、部屋を移動する時間がない。さらに、ある発表がキャンセルになったり、発表者が来なかった場合、司会が次の発表をすぐに始めてしまう。同じ部屋で聞き続ける分にはいいが、他の部屋から移動して、すでに聞きたかった発表が終わっていることが数回あったので、そこの部屋の司会に抗議した。すると、そうするように学会側から通達があったという。めちゃくちゃな話だとおもったので、大会本部に抗議にいこうとすると、他の参加者から1人、俺も協力するぞ、とついてきてくれた。2人で大会本部に抗議すると、すんなり受け入れてくれて、キャンセルがでても、元のスケジュール通りに進行するように全員に通知してくれた。

会場で、カルガリーで同時期に博士課程に入り、今はポーランド、ベルギーでポスドクをしているR君、今は他大に移ったE先生と再会。

この学会は京大の科哲の方々を始め、日本人の参加者が非常に多かった。初日の夜は、僕の日本の母校で非常勤したことのあるH先生や、京大の若手の人たちと会食。フランスは食事が高いと思っていたけど、2品プラスデザートのコースで16ユーロくらいで、それなりにリーズナブルだと思った。しかし、フランス語が読めないので、学会中結構同じものばかり食べてしまった。

7/21
雨模様で非常に寒い。カナダよりは暖かいと思っていたが、今年の夏は雨が多いらしく、ヨーロッパ滞在の最後まで悩まされた。ホテルの目の前にパン屋さんがあり、そこでパンを買って朝ご飯。とてもおいしい。

学会は、まずHuw Priceの講演。とても明晰だが、量子力学のテクニカルな話があり、完全には理解できず。質疑応答での、すごく丁寧な受け答えに感銘を受ける。この学会では非常に多くの発表を聞いたけど、専門外なのと、すでに少し時間が経過してしまったので、あまり覚えていない。この日は、古代懐疑論のものが、「古代の懐疑論者は信念を持たない」というテーゼをどう理解できるかという問題を扱っていて、なぜこんなことが問題になるのか分からなかったので質問したのだが、どうも古代懐疑論解釈では有名な問題らしい。しかし、どう考えても、なぜ問題になるのか分からなかった。

昼からクーンのシンポジウムに参加したが、最初の二つの発表が、クーンが参加した学会で他にこういう発表があったとか、非常に細かい細かい歴史の話が続いて、結構退屈だった。聴衆の中に、クーンの本を書いた人(名前を失念してしまった)がいて、いろいろ鋭い質問をするので、質疑応答は盛り上がった。

この日は会場で、イランから来たM君、イタリアから来た心理学者のS君と仲良くなり、学会中はこの2人とよく話した。夜はS君と2人で、パブで少し飲み、レストランに移動して食事。コースの前菜を卵のやつにしたら、ゆで卵を4つに切って、マヨネーズかけただけのものがきて、びっくりした。あれで他と同じ値段とは、詐欺でないだろうか。

7/22
著名な心の哲学者が、認識論についての発表をしていたのだけど、認識論に対する背景的知識がないので、かなりひどいものだった。質疑応答でいろいろ聞いたけど、結構ぞんざいな対応されて、少し腹が立った。その後、カルガリーのR先生の主催する、カルナップのシンポジウムに。さほど新しい話がなく、ちょっと準備不足の人が多かったように思う。

夜はS君とまた飲みに行こうとしたら、スタニスラス広場の中にあるパブでイタリア人参加者の集団と遭遇したので、そこでまず軽く飲み。するとH先生を見かけたので、2人で食事に行くことに。食事後、広場に戻りイリュミネーションを見る。すごく豪華で、かなり楽しめた。これは一見の価値ありです。

次の日聞くと、イタリア人たちは、ディスコで夜3時くらいまで飲んだり、踊ったりしていたらしい。これがお国柄というやつだろうか。

7/23
朝一の講演が、技術者がプラズマ発生炉の構造とセキュリティシステムを延々と解説するというもので、かなり退屈だった。その後、Christopher Hitchcockの発表を聞く。これも彼の論文をそれなりに読んでるので、目新しい話はなかったが、発表はとてもうまかったし、質疑応答もユーモアとリスペクトのあるもので、発表のお手本のような感じだった。

台湾の院生らしい人の認識論の発表が、Pritchardの入門的論文のかなり問題がある要約で、あまりのひどさにびっくりする。同じところの人が後日、同じような認識論の要約を発表する予定になっていたので、台湾の認識論事情を聞こうと思って、彼女らを捜したのだが、この日以降見かけず、もう一つの発表にも姿を見せなかった。こういうことしてはいけないよなあ。

この学会はクリプキとかヒンティッカがキャンセルで残念に思っていたが、この日講演予定のMichael Fridmanもキャンセルになった。なので、同じ時間帯のM君の発表へ。

夜は京大の若手のN君、O君とピザを食べた後、学会イベントで、クラシックコンサートへ。なかなか楽しめた。

7/24
日曜なので学会はお休み。その代わり、希望者のみの観光ツアーがあった(有料)。僕はロレイン地方の歴史ツアーというのにした。バスで40分ほどかけて、地方の古城に移動。観光ガイドの英語がいまいちで、あまり身のある話は聞けなかったのが残念。城は入れる場所がかなり限定されていて、これもあれだった。その後、本来城の中庭でとるはずだった昼食を、雨なので近くのレストランでとる。めちゃくちゃ大きいサンドイッチで、全部食べきれなかったので、残りは夕食用に持って帰る。昼食時は、今までもちろん知っていたけど話したことのなかったS谷さんが隣の席で、ちょっとびびる。

昼食後は、まず近くの(今は使われていない)ビール工場を見学。これがすごーくゆっくりしたツアーで、いい加減退屈したころに、ビールの試飲があったので、満足。その後、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスの指が祭られている教会へ。これはかなり趣があって良かった。

京大を退官されたU御大が、教会のツアーの後で"No misbehavior?"と聞いてきたので、"Fortunately no, but this is unusual for me"と返したら、結構受けた。

このツアーで、アメリカのM大学の院生と仲良くなった。ホテルに帰ってぶらぶらしていると、また出会ったので、彼に付き合い、昨日と同じピザ屋へ。就職の難しさなどを嘆き合う。

7/25
ようやく自分の発表の日。僕の一つ前の発表が、DeRoseの文脈主義のこれまた問題のある要約を延々とやっていて、司会が何回言っても止めずに、原稿を読み上げ続けている。結局、時間大幅オーバーで終了。後で聞いたら、物理学の院生で、友人に会うためにフランスに来たくて、旅費の援助を受けるために学会に来るという名目が必要だったので、適当に勉強して発表したらしい。まるで文脈主義に興味もないということで、なんじゃそれは、という感じ。

この学会は、1000語の要約だけの査読で、ほとんどノーチェックだと思うので、発表の質の差がありすぎる。ただ、論理学系はある程度審査が厳しいと聞いたりもした。他分野が緩いのは、ヨーロッパではそういった分野がまだ弱いので、それらの発表を奨励しようという意図があるのでは、と知り合った研究者が推測していた。

自分の発表は、まあうまくいったと思う。認識論者は聴衆にいなかったので、質問も楽なものばかりだった。発表後R君から褒められて、満足。

この日は日本の母校のK先生と再会。イギリスで別の学会を聴きにいった帰りに寄ったとのこと。夜は、母校つながりでH先生、K先生と食事して、またイリュミネーションを見る。

7/26
最終日。結構疲れてきて、あまり発表を聞かず。O君のものと、他の日本の方の発表を聞く。O君は英語がかなりのもので、発表も堂々たるものだった。ただ、日本人はやはり質疑応答になるとリスニングが難しく、皆苦戦していた。

夜はO君、N君とぶらぶらしてから食事に。ここで食べた牛の骨髄入りのオニオンスープがめちゃくちゃおいしかった。

この学会は専門がかぶる人は全然いなかったものの、いろんな人と話したし、質問もそれなりにしたので、まあ満足した。日本の研究者の人も、ほとんど面識のない人ばかりだったので、挨拶ができたのは良かった。
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2011年06月26日

デカルト的懐疑論とその諸前提

某学会誌に投稿するために、久しぶりに日本語で論文を書きました。

デカルト的懐疑論と呼ばれる懐疑論を導く論証はいろいろな種類があり、それらはどのような前提、原理を用いるのかという点が異なります。それらを網羅的に分析し、相違を明らかにすることによって、無用の混乱を避けようという意図で書いた論文ですが、字数制限もあり、やや中途半端な内容になってしまいました。それでも、読みたいという方がいるかもしれないので、ここにアップロードしておきます。下のウィンドウの右上のアイコンをクリックすると大きくなって、読むことができます。

まだ誤字、脱字などのミスがあるかもしれません。質問、コメントなどは随時受け付けます。

なお、この論文の許可無しでの引用は、いまのところ、しないようにお願いします。


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2011年03月26日

ゲティア問題と直観

ゲティア問題と呼ばれる、知識を非循環的な仕方で定義することの難しさは、ゲティアに始まる知識の古典的分析への反例の発見によって知られるようになった。これらの反例には様々なパターンがあるが、反例が存在することから、即古典的分析が誤りだとされたわけではない。何故なら常に、反例を何らかの形で退け、古典的分析を維持するという処置は可能だったからである。

ゲティアの論文は数ページしかないが実に良くできていて、彼がどのように反例を構成したのかを注意深く見れば、古典的分析を否定する際に、特定のケースについての直観は、皆が思うよりも少ない役割しか果たしていないということが分かる。

まずこのブログで何度も書いているように、古典的条件とは、

S knows that p iff

(1) S believes that p,
(2) p is true, and
(3) S is justified in believing that p.

である。ゲティアはこの分析に含まれるiffが、if ではないこと、つまり古典的分析が知識の十分条件になっていないことを示そうとする。

ゲティアは、(3)の正当化条件に関して、2つの想定を置く(実際にはもっと多いが省略する)。1つは証拠主義であり、ここでは以下のように定式化しておこう。

(Evidentialism) S is justified in believing p iff S has adequate evidence for p.


第二に、正当化の可謬主義である。可謬主義と呼ばれる立場は幾つもあるが、ゲティアが念頭におくのは以下のようなものである。

(Fallibilism about Justification) Being justified in believing p doesn't imply p's being true.

この正当化についての可謬主義から、Sが偽である命題を信じるための正当化を持つということが可能であるということが帰結する。したがって、可謬主義が正しいならば、正当化を与える証拠は、それ自体正当化されていなければならないという条件を置いたとしても、その証拠が真であることは必要ではないということが導ける。(最近の認識論では、この伝統的な考えを否定するものも多い)。この想定には適当な名前がないが、False Evidenceと呼ぼう。

(False Evidence) Having adequate evidence q for p doesn't imply q's being true.

このFalse Evidenceと証拠主義から、次のことが導かれる。

(A) It's possible that S is justified in believing p even though S's justifying evidence for p is false.

つまり、古典的分析は、Sがpと信じるための正当化を持つにも関わらず、その正当化が偽である証拠に依っているということを排除しない。そして、(A)が言えるならば、古典的分析から以下のことも導ける。

(B) It's possible that S knows that p even though S's justifying evidence for p is false.

ゲティアが提示した2つのケースは、この実例であるに過ぎない。ゲティアのケースが反例として説得力を持つのは、(B)が非常に強く偽であると思われるからである。

このことは簡単に確かめることができる。(A)を満たすようなケースはいくらでも想定できるので、それらのケースが(B)を満たすかどうかを考えてみれば良いからである。

このようにゲティアの論文を再構成すると、以下のことが言えるように思う。

(1) 古典的分析の否定には、原理的な考察が強く働いている。つまり、古典的分析は(B)を許容するが、(B)は偽である、という考察である。
(2) (B)が偽であることは、多くのケースを検討し、それらがSが知識を持つケースではないという直観的判断が必要である。ゲティアの2つケースとそれに伴う直観が、古典的分析と相容れないという理由のみで、古典的分析が阻却されたというわけではない(それらについて明確な直観を持たない人でも、いくらでも類似のケースを作って確かめることができる)。

面白いのは、最近はPeter Kleinのように(B)を誤りだと考えない人も結構いるということ。ただ彼らにしても、それが端的に誤りだと考えるわけではなく、ある条件が満たされれば、(B)が成立するようなケースもあるとするだけである。
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2011年03月24日

文脈主義とUse-Mention Fallacy

文脈主義に関してよく知らない人がする批判の1つは、「文脈主義は知識をあまりにも容易に獲得できたり、失われたりするものにしてしまう」、というものである。この批判は頻繁に耳にするが、海外の専門誌で取り上げられたことは、僕の知る限りない(曖昧な記憶では、あるとしても1つくらいのはずで、この記事を書くためにネットで探してみたが、見つからなかった)。これは当たり前の話で、この批判は誤解であるか、そうでないにしても極めてミスリーディングだからだ。

まず、文脈主義(Lewis, Cohen, DeRoseらの意味論的文脈主義と呼ばれる立場)とは、知識帰属文といわれる"S knows that p"という形式の文、ないしその否定("S doesn't know that p"という形式の文)が、その文の発話される文脈に応じて、どのような命題を表現するかが変わる、という立場である。したがって、文脈主義とは、何よりもまず、知識帰属文が表す命題が文脈可変的である、という、特定の形式の文に関する意味論的立場であり、それが表す命題が真である条件を定める認識論的立場ではない。

しかし、後者に関して全く語ることなく、知識帰属文がどのように文脈可変的なのかを説明するのは難しい。そこで導入されるのが、warrantだとかepistemic positionという抽象的な概念である。おおざっぱに言うと、これらの概念は、以下の三つの性質によって定義される(標準的に、epistemic positionという概念を使って以下述べる)。

(a) epistemic positionには、強度が存在する。ある命題に関するepistemic positionは人によって強かったり、弱かったりするし、同一の人の異なる命題に関するepistemic positionも強度が異なりうる。
(b) epistemic positionの強度は、epistemic、つまりtruth-relatedなファクターによって決定される。
(c) Sがpを知っているということが成立するための条件から、non-epistemicな条件を差し引いた残余が、S is in a strong enough epistemic position regarding p である。

(b)に関して補足すると、epistemic positionの強度を決定するepistemic factorが何かという問題こそ、認識論あるいは知識論の第一次的な問題である。例えば、証拠主義なら十分な証拠を持っていることとするし、プロセス信頼性主義なら、pという内容の信念を生み出す認知プロセスの一般的に信頼可能性が、そのファクターであるとする(これらのファクターには強度が存在し、自然に(a)を満たせることに注意)。知識の成立に関わる典型的なnon-epistemic factorは、S believes that p と、p is trueである。したがって、(a)、(b)、(c)から、Sがpと知っているための一般的条件は以下のようになる。

S knows that p iff (1) S believes that p,
(2) p is true, and
(3) S is in a strong enough epistemic position regarding p.

文脈主義は、このように知識の条件を抽象的に定義した上、知識帰属文の文脈可変性を以下のように説明する。どの程度のepistemic positionの強度が、(3)の条件を満たすために要請されるかは、文脈によって決定される。そして同時に、この要求される強度に応じて、その文脈において、知識帰属文がどのような命題を表すかも決定される。

例えば、不可謬主義的懐疑論が問題となるような文脈では、(3)の条件を満たすために要求される強度は極端に高くなる(すなわち、極端に高い強度でないと、strong enoughでない、となる)。議論の簡易さのため、この要請される強度をmaximalだとしよう。すると、知識帰属文"S knows p"がその文脈で表す命題は、

(1) & (2) & S is in a maximally strong epistemic position regarding p

となる。あるいは、この命題を知識に関する極端に高い(maximalな)基準が用いられたと解して、以下のように表現することもできる。

S knows by the maximally high epistemic standard that p

この命題を満たすことは、事実上、どのようなSと経験命題pの組にも不可能なので、不可謬主義的懐疑論の文脈では、知識帰属文"S knows p"は、Sとpがどのようなものであれ、偽となる。しかし、たとえSが例化するepistemic factor, Sがpと信じるかどうか、pが真かどうかといった点が懐疑論的文脈と同一であるとしても、通常の文脈では、同一の形式の文が表す命題は、

(1) & (2) & S is in a less-than-maximally strong epistemic position regarding p、か

S knows by the less-than-maximally high epistemic standard that p

であり、多くの人はこれを満たすことができる(正確には、その文脈が要求する強度、pの内容によるが、この点は簡略さのため省略する)。したがって、通常の文脈では、知識帰属文は(多くの場合)真である。

文脈主義者の多くは、文脈が変化する要因として、知識帰属文を発話する人物の心理的要因(pに関するどのような反対の可能性(alternative)が顕著であるか)や、実践的要因(pが真であることにどの程度の実践的重要性があるか)を挙げる(しかし、僕の知る限り、いかなる文脈主義者も、これらの要因が存在するならば、必然的に文脈が変化するとは主張しない。文脈変化のメカニズムは部分的に経験的な問題で、哲学的根拠のみで決定できない)。このことが、最初に述べた「文脈主義は知識をあまりにも容易に獲得できたり、失われたりするものにしてしまう」という批判を誘発する原因だろう。

しかし、今まで述べたことから明らかなように、文脈主義とは知識に関する立場でなく、「知識」あるいは「知っている」という語を含む文が表現する命題に関する立場である。そしてもちろん、compositionalityから、「知っている」という語の意味論的値に関する立場だと言える。ここで外延的に、知識とは「知識」の指示対象、あるいは「知っている」が表す関係だと置いてみよう。別の言い方では、この指示対象ないし、関係が文脈に応じて変化するというのが、文脈主義である。

文脈AとBで、同一の形式の文がAでは真、Bでは偽であるということは、その文が文脈可変的な語を含む限り、起こりうる。例えば、"S is tall"という形式の文は、Sの身長が180センチであった場合、多くの文脈では真であるが、バスケットボールプレイヤーについて話している文脈では偽であるかもしれない。これは後者の文脈で"tall"が表す関係が tall for a basketball playerであり、Sはこの関係を例化しないからである。しかし、これらの文脈間で、Sの身長が変わるわけではない。

知識に関しても同様で、Sの例化するepistemic factorが変化しない限り、(b)により定義上、Sのepistemic positionが変化するということはない。これが意味するのは、「知っている」という語が表現しうる関係(knowing by the maximally strong epistemic standard、knowing by the ordinary standardなど)のうち、どれをSが特定のpに関して満たし、どれを満たさないのかということは、真理とSの信念というnon-epistemic factor、そしてSの例化するepistemic factorに変化がない限り、文脈間で異なることはない、ということである。文脈が影響を与えるのは、あくまで、そのうちどの関係を「知っている」が表現するのかという点に過ぎない。

したがって、「文脈主義は知識をあまりにも容易に獲得できたり、失われたりするものにしてしまう」ということはない。Sがどのような知識を持つかは、Sが「知っている」が表現しうるどの関係を満たすのかということと同義だからである。この批判の誤りは、知識、知っているという実質的な事柄と、「知識」、「知っている」という言語表現に関する言語的(カルナップなら形式的と呼ぶだろう)事柄を混同している点にある。簡単に言えば、これはある種のuse-mention fallacyの一例であり、"tall"の文脈可変性を根拠に、人の高さが容易に変化するものになってしまうと言っているようなものである。

DeRoseの2009年の本には、この批判をいつも聞いてきたと述べた後、ここで述べた路線で反論を述べている箇所があるので、参考にして頂きたい。

【追記】「知っている」とそれが表す関係が、一対多の関係であるということが文脈主義の前提であり、これを否定する立場、すなわち「知っている」は常に同一の関係を表現するという立場は、不変主義(invariantism)と呼ばれる。
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2010年10月05日

書評

またもや、全然更新してませんでした。9月に博士論文の諮問を受け、一部修正後、先週大学に提出しました。これで、博士取得ということになります。そのうち、5年間の博士取得までの道のりをもとめる予定です。

今回の記事は、科学哲学最新号に載った認識論関係の論文の書評、というか批判的コメントです。もとの論文が英語だったので、英語で書きました。

I've read "On Memory Knowledge" by Shin Sakuragi (Kagaku Tetsugaku 43-1, 2010, pp. 61-77). It is rare that a Japanese writes an epistemology paper, and so I will comment on this paper.


1. The author starts the paper by mentioning the problem of forgotten evidence, though, oddly, no reference to Goldman, who first raised this problem.

2. The central concept, memory impression, is not defined well. It is defined to be phenomenal, but it is often treated as having propositional contents.

3. on p. 63, internalism is characterized in terms of accessibility. Then, later, Conee & Feldman are discussed as proponents of internalism. But, of course, they don't commit themselves to access-internalism. For this reason, I don't think the author's interpretation of their view on p. 65 is right. Indeed, the quote there suggests that they advocate a different view - mentalism.

4. on p. 64, the author says "It is well recognized that we cannot base memory knowledge on any inferential process from memory impressions." It's not clear at all what this means, nor is why the author's argument shows this.

His argument is the following:

"to deduce the memory knowledge from my memory impression, I need to appeal to a principle like this: when I feel just like how I am feeling now, I almost always remember, and thereby know, something... But I cannot derive the principle by induction, for, to derive it inductively, I have to appeal to different instances of my past experience (“When I felt such and such at t, I actually remembered. . .”). On the face of it, such an appeal eventually leads me to a vicious regress."

I have no idea why this is relevant. First, there is a level-confusion in Alston's sense. In this paper in general, the author ignores important epistemic distinctions, such as "justification-knowledge," "belief-knowledge," and "propositional-doxastic justification." For example, when he claims "memory impression justifies memory knowledge," it means that memory impression knowledge-level justifies p. Relevant here is the distinction between first-order and second-order justification (or knowledge.) In the context where the quote is located, the issue is whether one can base p, not knowing p, on the memory impression that it seems that p. But then, the issue is changed to the one as to whether one can base knowing p.

Second, even if the issue is second-order justification or knowledge, I don't see why the argument holds. Though I'm not entirely sure, it seems that the author's point is that in order to have knowledge that S knows p on the basis of memory impression, S needs to have ground for the reliability of memory. But, in order to have ground for the reliability of memory, S needs to have ground for remembering p, which requires having ground for the reliability of memory, and so on (I don't know if this is a vicious regress; it is more of a circularity). But grounds for the reliability of memory can be gained from some source independent of memory, say, someone's testimony. Or, his point might be that this inference is bootstrapping. If so, it is a general problem for basic sources, arising for both internalism and externalism.

Third, this argument presupposes that what justifies must be justified all the way down. It is a Pyrrhonian skeptical argument. Even hard-core internalists would deny this presupposition.

5. on p. 69, Huemer's example is mentioned. I doubt if this is a good example for semantic reasons, but let me put this point aside. After all, it is simply a variant of the new evil demon case. Then, the apparent conclusion would be that internalist coherence is sufficient for justification, not that memory impressions justify beliefs, as the author derives it.

6. The example on pp. 70-1 does not show that "my memory impression constitutes a part of the epistemic grounds of my memory knowledge" (p. 71). It is consistent with the example that the defeater undermines the belief that S's memory is reliable, and it is why S is not justified on the basis of memory (not necessarily, memory impression). The concept of defeater has wider usage than Pollock construes it to be. Moreover, the argument here presupposes a foundationalist version of the present ground theory, according to which memory beliefs are ultimately grounded on memory impressions. it's odd that coherentism is not even mentioned, and the present ground theory is always assumed to be foundationalist.

7. I don't buy the counterexample to reliabilism on p. 71. I do not share the author's intuition, and the example doesn't involve any explanation of why his intuition seems right. Moreover, the belief in question (My name is X) is similar to necessary truth. Reliabilism has notorious difficulties with such truth. The problem doesn't seem specific to memory knowledge.

8. Again, I don't buy the example on p, 72-3. Especially, reliablism has an easy way-out of this example: memory in amnesia is a different process than memory in normal condition.

9. Many issued brought up in this paper are simple variants of the issues concerning perceptual knowledge. I wonder if there is any problem specific to memory knowledge other than the problem of forgotten evidence.
posted by hakutaku at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月24日

Relevant Alternatives Theory

博論に忙殺されて、全く更新できませんでした。9月に口頭諮問なので、結構間にあうか心配ですが、とりあえず今日は一段落着いたところなので、久々に更新。

Relevant Alternatives Theoryというのは、頻繁に言及される割に、いまいち誤解が多い立場であるとおもう。まず、この'theory'が言うことは、非常に単純で、以下のようなものである。

Necessarily, if S knows p, then S can exclude every relevant alternative to p

つまり、pを知っているということの必要条件として、Sがpに対する「relevantな選択肢」全てを排除できる、と置く。ここで、選択肢(alternative)と呼ばれるのは、pと論理的に両立不可能な命題のことである。

最大の誤解として、この'theory'は、内在主義や外在主義といった知識、ないし正当化の理論では全くない、ということだ。これらの理論は、知識ないし正当化を、一応非循環的な形で定義することを目的としている。しかし、relevant alternatives theoryは、そもそもそういう目的を持っていない。このことは端的に、'exclude an alternative'ということがどういうことなのかが、まるで定義されてないことに現れている。

単純に考えると、p'という選択肢を排除できる、ということは、「p'が偽だと知っている」ということと同一視できるように思われる。すると、先の条件が言っているのは、

Necessarily, if S knows p, then S knows ~p', where p is logically incompatible with p'

ということになる。これは、実のところ、いわゆる認知的閉包原理(epistemic closure principle)の特殊ケースにすぎない。何故なら、この原理は、

(Closure) Necessarily, if S knows p, and knows that p entails q, then S knows q

というものであり、当たり前だが、pとp'が論理的に両立不可能ということは、pが~p'を含意(entail)する、ということを含意するからである。最初の条件とClosureが異なるのは、'S knows p is logically incompatible with p''が、明示的に書かれていないことで、この点はやややっかいなのだが、ほとんどの論者(特に内在主義者)は、これを付け加える必要があるということを是認するだろう(そして外在主義者は、Closureに現れる'knows that p entails q'を必要としないことが多い)。

relevant alternatives theoryは、結局'know p'や'(can) exclude q'というものを何らかの形で定義しなければ、なにも実質的なことを言っていない。この'theory'から、いきなり興味深い認識論的帰結が出てくるように語る人がいるが、これは誤りであるか、暗黙のうちに、何らかの定義を前提にしているだけである。

典型的には、relevant alternatives theoryは、反懐疑論戦略として持ち出されることが多い。懐疑論的な可能性、例えばBIV仮説、「Sが水槽の中の脳(BIV)である」という選択肢は、普段はrelevantではないが、懐疑論が持ち出されたときにはrelevantになり、それを排除できないが故に、経験的命題pをSが知らないということが導かれる、などと論じられたりする。

このような説明が説明になるのは、何らかの特定の知識の理論(例えば、Nozickのsensitivity theory)を想定したときだけである。例えば、内在主義的な証拠主義に、このような説明は適用できない。

この種の説明は、何故通常はpを知っているのに、懐疑論が提示されるとpを知らないということになるのか、あるいは我々がそう思ってしまうのか、の説明として通常提示される。しかし、そうならば、通常pを知っているのだから、closureから、通常「SはBIV仮説が偽だと知っている」ということが導かれなければおかしい。そしてこれが言えれば、「SはBIV仮説を排除できる」と言えるはずである('exclude p''が'know p''よりも強いということは考えられない)。それ故、BIV仮説が何故懐疑論が持ち出されたときだけ排除できなくなるのか、という点が説明されなければ、relevanceの変化に訴えることは、まるで説明になっていない。

この問題を回避する一つの方法は、BIV仮説がrelevantになったときには、'exclude BIV'ができるための条件そのものが変化すると、置くことだ。しかし、これまた先の条件に、この点に関する実質的説明を付け加えない限り、成立しない。

このような意味で、relevant alternatives theoryというのは、何ら説明的、あるいは実質的「理論」ではない。
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2010年04月02日

Joshua Knobeの読み方

Joshua Knobeの名前を、僕の周りではジョシュア・クノービと発音する人が多くて、日本語のスライドでもこの発音を使っていたのだが、学会中にStich氏から、ノーブと発音すると言われた。

なので、Knobe Effectも「ノーブ効果」と訳すのが正しい。今後彼への言及は日本でも増えるでしょうが、この読み方を使って、僕のスライドの読みは使わないでください。
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2010年03月31日

学会報告(2)

3月27日、学会2日目。

この日も全然寝られず、4時過ぎからスライドの見直しをしていた。Stich氏と朝飯を一緒に食べようという話になっていたので、7時半に隣の彼の部屋に行くと、早く起きたから先に行くよとメモが貼ってあったので、レストランに移動。

ここでもう1人の招待講演者Beebe氏と初顔合わせ。あなたが論文を書いたGenerality Problemについて博論を書いているので、この学会中に是非時間があれば、それを議論したいですと言うと、二つ返事で引き受けてくれた。この人もすごくいい人だった。

大学までの行き方がよく分からないというので、経済学の招待講演者や海外からの他の発表者皆を案内してホテルから移動。特にYaleのM君とは、うちの大学からYaleの博士に行った共通の友人がいるので、結構盛り上がった。

んで、まず僕の英語の入門講義。これはけっこううまくいって、他の招待講演者、とくに経済系の人にすごく褒められた。よかったよかった。

経済学の入門講義、そしてEdo氏の招待講演は、すごく面白かったし、勉強になった。やはり、実験経済学と哲学には、いろいろ共通点がある。Shu-Heng氏の講演は、歴史的な入門だったが、一部専門用語が理解できず、完全にフォローできなかった。

Stich氏の発表は、実に熱意のあるもので、従来の哲学と実験哲学の相違や、その革新性を説明するのに、彼ほど適任はいないと思った。僕の入門講義にも、いろいろ言及してくれて、ありがたかった。

ポスター発表もいろいろ見て回る。日本からもいくつかの実験結果の報告があって、おーと思ったのだが、ちょっと実験設計に問題があるものが多かったように思う。

その後の懇親会は、台湾の経済学者と、信念、知識という概念を巡って、いろいろ議論した。この人は頭の回転が速くて、話していて楽しかった。

帰り道はBeebe氏と、僕の博論についていろいろ議論。僕のアイデアと彼の論文の批判について、賛成してくれたので、かなり励みになった。博論のドラフトも読んでみたいので送ってくれと言われた。この学会の裏の目的一つを達成。

3月28日、学会3日目。

またまたあまり寝られず。朝からまず一般発表。同時に4つの発表があって、絞るのが大変で、結局ほとんど海外からの哲学系の発表しか聞けなかった。質問もしまくったし、発表者とは議論もいろいろした。特にM君とは、彼の実験に対する僕の仮説も話して、いろいろ有意義な議論ができた。彼とはほんと仲良くなって、夏に遊びに来いと言われたで、嬉しかったな。

んで、僕の招待講演。まあ、それなりにそつなくこなせたかな。質問もいろいろ出たし、その後結構皆から褒めて貰った。Beebe氏には、どっかに投稿すべきだと言われたし。

ここで仕事が全て終わった安心感から一気に気が抜けて、次のFischbacher氏の講演は、前半全然話を聞いてなかった。申し訳ない。次のBeebe氏の講演は、実に見事。一つ質問したけど、あまり明晰でなく、またテクニカルな質問過ぎて、迷惑をかけてしまった。

んで、また皆を引き連れて祇園まで移動。日本の友人達にいろいろ迷惑をかけた。僕はその後、この友人達に合流して、飲み会。いつものように盛り上がる。彼らと飲めるというのが、まあ日本に来たときの最大の楽しみの一つだ。

3月29日

んで次の日、朝飯を食いにいくと、Stich氏がいた。この学会中、彼とちょいちょい例の日本語の知識概念を研究するための方法について話し合っていたのだが、ここでいろいろと話を詰めることができた。この計画をこれから動かしていって、将来的には日本で実験できたらいいな。途中でBeebe氏も合流したので、3人でしばらくまったりする。

Stichに哲学の小道への道順を教えた後、僕は別れて実家に。久々に姪の顔を見る。でかくなったなー。この日は疲れがどっとでて、買い物に行った後爆睡。

3月30日

空港で、他の家族と待ち合わせて、いっしょに昼飯を食べ。それからまず成田へ。やはり成田で、おおいに迷う。ほんとなんでこんなに分かりにくいんだろう。んで、バンクーバー、カルガリーまで帰ってきました。

しかし、意義深い学会だった。いろいろ疲れたけど、なんだかんだいって一番得したのは、僕かもしれないな。Beebe氏やStich氏とは、これからも連絡を取り合って行くことになったし、Stich氏とはうまくいけば、共同研究することになるかも。

日本の哲学関係は出席者が少なくて、あまり顔を覚えて貰うという目的が果たせなかったけど、まあ、それ以上にいろいろ収穫があった学会でした。僕の講義、講演ばかり聴かされる方もしんどかったと思うけど、ほんと出席してくださった皆さんありがとうございました。
posted by hakutaku at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

学会報告(1)

3月26日から28日まで京都産業大学で開催された実験経済学と実験哲学の国際会議に出席してきました。以下はその報告です。僕個人の日記もかねて、カルガリーを発つところから。

3月23−4日

明け方までちょっと他の書類の作成などしていて、寝たのがもう明け方で、起きたら8時過ぎ。8時半に家を出ようと思っていたのに、慌てて空港へ向かう。バスの接続が結構良くて、あまり時間のロスをせずに済んだ。

そこから、バンクーバー、成田と乗り換えて、中部国際空港まで。いつも思うが、成田はかなり最低の空港で、あるべきところにサインがなく、いつも迷ってしまう。あれほど分かりにくい空港はない。飛行機の中ではずっと映画を見るか寝ていて、4本くらい見た。

夜に実家につき、ほっと一息。

3月25日

朝飯を食べて、まずは大阪に移動しようと、実家から名古屋行きの電車に乗る。するとおかんから電話で、家にスーツ忘れてったとのこと、がーん、いつもそんなもんもって歩かないので、すっかり失念していた。しかも急行なので、なかなか降りられない。なんとか降りて、また実家に戻る、あーあ。

ほんで予定よりだいぶ遅れて名古屋へ。そこから新幹線で大阪まで向かう。大阪駅下車後、国際免許の更新のため、免許更新センターへ。駅に降りて、いやー、すっかり都会になったなー、と歩き回るも、全然見つからない。それもそのはず、伊丹で降りなきゃ行けないのに、何故か尼崎で降りていた。この日はぼけぼけの一日。

なんとか免許更新をすませ、京都へ。ホテルで京産大のO先生と待ち合わせ、茶店で雑談兼、明日の打ち合わせ。その後、好物のトンカツを一人で食べて、ホテルに帰る。やはり日本は食べ物がうまいなー。

その後、3股のプラグを日本のコンセントを挿せるようにするアダプターを買いに、ビッグカメラに。ところがこれがうまくはまらない。スライドの見直しのためにパソコンを使う必要があるので、他に電気屋を探さないとなと、エレベーターの前に行くと、どこかで見たような人がいる。おそるおそる「あのー、完璧に間違っているかもしれませんが、Stich先生でないですか」と聞くと、やはりそうだった。さっき着いて、お金をおろしたいのだが、見つけたATMが使えなくて、ちょっと困っているというので、それなら僕がなんとかしますよ、と2人で京都駅校内をATM探してうろうろ。何個か見つけるも、全部だめで、案内所でATMが固まってある場所を教えて貰って、ようやくお金がおろせた。

んで、ちょっと小腹が空いていると彼が言うので、2人で近くの回転寿司に。いや助かった、おごるので何でも食べてくれと言われたんだけど、既にトンカツをたらふく食べていたので、お茶だけにした。彼は4皿ほど食べて、600円という値段に、何でこんな安いのと驚いていた。

食べながらいろいろ話をして、この学会に来た目的は、日本語の知識概念と英語の知識概念の相違に興味があるので、それを調べたいのに協力者を募りたいというのがあるんだ、と言われた。僕はまあ、認識論が専門で、英語の知識概念にはネイティブよりも詳しいと思うが、日本語のそれとなると、確かに全然違うとは言えるけど、あまりきちんと考えたことがないですね、と言うと、だから調べる価値があるんだと力説さらた。いや、予想していたとおり、すごく情熱的で研究に対する熱意のある人だった。もっと怖い人かなと思っていたけど、優しい人だった。、

3月26日

当たり前だが来たばかりでそうとうの時差ぼけがあり、4時間くらいしか寝ないまま、5時前に目が覚めた。この日やる予定だった、日本語の入門講義のスライドを見返したりしながら、7時過ぎにホテルを発ち、京都産業大学へ。少し早く来てと言われていたのだけど、8時と早すぎる時間に着いたので、時間をつぶす。時間ぎりぎりまで誰も来なくて、結局打ち合わせなしで講義することになった。

ほんで、日本語の講義。出席者は、友人を含む哲学関係者数人と経済学関係者15人くらいだったと思う。日本語で講演するのは久々だったが、まあそれなりにくつろいでできた。ところが、休憩はさんだ後半の講義を何故か1時間だと勘違いしていて、そこでありがとうございました、と言ってしまった。もう30分あるということで、慌てて仕切り直し、でもおかげで予定していた通りの内容がきっちり終われた。

最初マイクが使えなくて、途中で用務員の人に直してもらったのだが、その人がUSBメモリーのふたを持って行ってしまったようだ。ゴミと間違えたんだろうなー。このふたを頻繁になくしていて、唯一ふたがまだついているやつを持ってきていたのだけど、これもなくなってしまった。

質問もいろいろ出て、なかなか楽しくできた。しかし、いつも思うがもう少しうまく答えられたなと思う。

その後経済学入門を日本語で聞かせて貰う。経済学と哲学ではプレゼンの仕方がかなり違うな、という印象を受けた。

んで、まずビッグカメラに行ってアダプターを取り替えて貰って、友達のKさんと、東大のN先生ゼミの人たちに合流。初めてきちんとお会いしたのだけど、実に楽しい飲み会だった。

posted by hakutaku at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

Enriching the Framework of Experimental Philosophy

学会まであと1週間もありませんね。このブログを見てる人が、どれだけ来てくれるのか分かりませんが、とりあえず自分の発表原稿をここに上げておきます。

3週間くらい前に完成して、学会側にも渡していますが、今日一部の文章を修正しました。まだミスがあるかもしれません。1時間の発表としてはやや長いので、本番の発表では、一部をカットすると思います。

今回の学会は質疑応答の時間がないですが、何か質問がある方がいれば、ブログでも、学会の際でも、気軽に声をかけてください。



posted by hakutaku at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 実験哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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