2015年02月28日

史上初の実験哲学者Arne Næss

Sorensen, Roy. (2014). "Novice Thought Experiments." In Anthony Robert Booth and Darrell P. Rowbottom (eds.), Intuitions. Oxford: Oxford University Press: 135-147.

を読んでいたら、史上最初の実験哲学者としてArne Næssという人物が紹介されていた。非常に面白いと思ったので、この人物について調べてみた。

ノルウェイ出身で、同国では非常に有名らしく、Wikipediaにも項目があるのだが、不勉強で今まで知らなかった(ただ、あとで書くように、知っていても良かったはずだと思う)。とりあえず、詳しくはそちらを見てもらうことにして、ここで重要な事はまず、1934-35年に17ヶ月間ウィーンに滞在し、論理実証主義者と親しくなり、Schlickの講義に出たり、後にAyarと論争したりした人であるということと統計もかなり勉強した人物であるということ。

Næssは"truth"について哲学者が「常識的には、…だ」という言い方を頻繁にし、しかもその内容が異なること問題だと考え、同時にそれを検証する方法を持たなかったことを哲学の方法論的欠陥だと考えた。そこで、12才から65才までの非哲学者300人に質問紙調査をして、1938年に“Truth” as Conceived by Those Who Are Not Professional Philosophersという本を出版する(一回の調査ではなく、いろいろ質問を変えたりしながら、何回もやったようだ)。この本は残念ながら入手困難だけど、そのサマリーとして同年に発表された"Common Sense and Truth"が彼の全集VIIIに収められている(また、他にも関連する実験哲学と見なしうる研究をしている)ので、読んでみた。

質問内容は全部書かれていないが、ほとんどの調査で、以下の様な質問をしたと書かれている。

Do you distinguish between something true and something absolutely true?
Is there anything absolutely true? Give some examples of absolutely true statements. (p. 15)

Næssはこの実験を通じて、'truth'とそれに似た表現について厳密に言えば500種類の異なる定義をえて、それをいろいろな基準で分類している。例えば、哲学者が提示してきた真理定義との類似性による分類では45のグループにこれらの定義は分類されている(ただし500のうち半分以上が単純に分類できず、複数のグループに属すると分類されている)。この分類で最大のグループ(500定義のうち57を含む)は、真理を証明可能ないし
証明されたもの、とするグループで、実在との対応(500定義のうち16を含む)とするグループよりも大きい。既存の真理論に見られる全ての定義(そしてそれ以上の定義)は、非哲学者の中に見いだせたとしている。全集VIIIに入っている他の論文に、一部のグループが若干詳しく書いてある(1981年に発表された"The Empirical Semantics of Key Terms, Phrases, and Sentences: Empirical Semantics Applied to Nonprofessional Language")。

Group 4: if truth is identified (in various senses) with a relation of
correspondence with facts or actual things.
Group 7: if truth is identified with facts or real things.
Group 8: if truth is identified with what is the case, what is so, what is as one says; or when a function of mere affirmation is described. Compare theanswers of person Bto the utterance ofA: A−It is raining, B−(1) Yes, it is raining, (2) It is raining, (3) That is so, (4) Yes (the “Tarski group”).
Group 9: if what is true is identified with something fixed and determined by man himself (“Truth as Convention”).
Group 11: if what is true is identified with what cannot be challenged, disproved, contradicted, or discussed or with what is indisputable.
Group 12: if what is true is identified with what is unchangeable or what cannot be otherwise. Central notion: changelessness (the “Parmenides group”).
Group 13: if what is true is identified with the relation of agreement or correspondence between something and observation.
Group 14: if what is true is identified with something unmistakable, with something that cannot be mistaken(the “Incorrigibility group”).
Group 15: if what is true is identified with that which cannot be doubted or with what is not actually doubted by anyone (the “Cartesian group”). (p. 63)

この実験結果は学会でも発表されたけど、自然言語は混乱しており、それをexplication(解明)するのが哲学だというCarnapらの考えが支配的だったので、あまりうけなかったらしい。しかし、Næssはこうした非経験的な意味論には終始反対して、自分の方法論を「経験的意味論」と呼び、いろいろ書いているし、後に日常言語学派と関連付けたりしている。

彼の実験はTarskiにも知られていたらしく、恥ずかしいことにいままで気づいていなかったのだが、Tarskiの1944年の記念碑的論文"The Semantic Conception of Truth: and the Foundations of Semantics," Philosophy and Phenomenological Research, 4 (3)でも言及されている。Næssも1981年の先の論文で、Tarskiの見解の中には経験的にテスト可能なものがまざっており、自分の実験はそれをテストしたともしている。

さて、TarskiがNæssの実験について何を言っているかというと、以下のとおり。

"I should like to emphasize that in my opinion such investigations must be conducted with the utmost care. Thus, if we ask a highschool boy, or even an adult intelligent man having no special philosophical training, whether he regards a sentence to be true if it agrees with reality, or if it designates an existing state of affairs, it may simply turn out that he does not understand the question...

Therefore, I was by no means surprised to learn (in a discussion devoted to these problems) that in a group of people who were questioned only 15% agreed that "true" means for them "agreeing with reality," while 90% agreed that a sentence such as "it is snowing" is true if, and only if, it is snowing. Thus, a great majority of these people seemed to reject the classical conception of truth in its "philosophical" formulation, while accepting the same conception when formulated in plain words..." (p. 360)

このの応答は、今日の実験哲学を巡る議論で言えばいわゆるexpertise defenseと言われるもので、訓練を受けていない非哲学者の意見よりも、専門的スキルを持つ哲学者の意見を重視すればよいというもの(かなり極端だけど)。

いや、90年近く前に、こんな統計の知識をしっかり持った哲学者がいて、実際に質問紙調査をやっていたこと、哲学のアプリオリ性や非哲学者の専門スキルの欠如を理由とする批判にあったことなどを全然知らなかったので、非常に驚いた。規模は違えど、現代の実験哲学を巡る議論と同じような状況がかつてあったのだ。興味深いのは、こういった企てが論理実証主義者の哲学の規範的性格、アプリオリ性への志向と相容れなかったことで、自然主義の歴史を考える上でも興味深い。
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2010年04月02日

Joshua Knobeの読み方

Joshua Knobeの名前を、僕の周りではジョシュア・クノービと発音する人が多くて、日本語のスライドでもこの発音を使っていたのだが、学会中にStich氏から、ノーブと発音すると言われた。

なので、Knobe Effectも「ノーブ効果」と訳すのが正しい。今後彼への言及は日本でも増えるでしょうが、この読み方を使って、僕のスライドの読みは使わないでください。
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2010年03月20日

Enriching the Framework of Experimental Philosophy

学会まであと1週間もありませんね。このブログを見てる人が、どれだけ来てくれるのか分かりませんが、とりあえず自分の発表原稿をここに上げておきます。

3週間くらい前に完成して、学会側にも渡していますが、今日一部の文章を修正しました。まだミスがあるかもしれません。1時間の発表としてはやや長いので、本番の発表では、一部をカットすると思います。

今回の学会は質疑応答の時間がないですが、何か質問がある方がいれば、ブログでも、学会の際でも、気軽に声をかけてください。



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2010年03月10日

Joshua Knobeの実験

実験哲学で最も知られた実験は、Joshua Knobeが、

Knobe, J. (2003). Intentional Action and Side Effects in Ordinary Language. Analysis, 63, 190-193.

で行ったものです。この実験をもとに様々な実験が行われており、今度の学会の招待講演者の一人、James Beebe氏の実験も、これを認識論に応用したものです。以下の記述は、学会のプレコンファレンスセミナーでの入門講義用につくったスライドからの抜粋なので、箇条書きですが、Knobeの実験を知るには十分だと思います。

Knobeの実験

目的:意図的行為(intentional action)に関する哲学理論の検証。

行為の副作用(side-effect):ある人物Aが、Xが彼の行動から帰結すると予期しながらも、Xが実際に起こるかどうか関知しないとき、XはAの行為の副作用。

このとき、XはAによって意図的に引き起こされたのか、それともそうでないのか。

被験者:マンハッタンのある公園でくつろいでいた78人の男女。被験者はランダムに以下のケースのどちらかを提示される。

方法:被験者は、会長の行為がどの程度賞賛に値するのかを0から6までの尺度で評価し、かつ彼の行為の環境に関する副作用が、彼が意図的に引き起こしたのかどうかを答える。

改善ケース:

ある会社の副社長は会長のところに行き、「新たなプロジェクトを始めようと考えている。新プロジェクトは会社の利益増大の助けになり、そして、それは自然環境の改善につながる」、と話した。
会長は答えて、「私はそれが環境に良いかどうか全く関知しない、私は単に、できるかぎりの利益をえたいだけだ。新プロジェクトを始めようではないか」、と言った。
彼らは新プロジェクトを開始した。当然の事ながら、環境は改善された。

(ここで、会長は環境改善を意図的に引き起こしたかどうか、考えてください)



有害ケース:

ある会社の副社長は会長のところに行き、「新たなプロジェクトを始めようと考えている。新プロジェクトは会社の利益増大の助けになり、そして、それは自然環境にとって有害となる」、と話した。
会長は答えて、「私はそれが環境に悪いかどうか全く関知しない、私は単に、できるかぎりの利益をえたいだけだ。新プロジェクトを始めようではないか」、と言った。
彼らは新プロジェクトを開始した。当然の事ながら、環境は被害をうけた。

(ここで、会長は環境悪化を意図的に引き起こしたかどうか、考えてください)



有害ケースの結果:82%の被験者が、「会長は副作用を意図的に引き起こした」を選んだ。

改善ケースの結果:77%の被験者が、「会長は副作用を意図的に引き起こしていない」を選んだ。

結果は統計的に有意: χ2(1, N = 78) = 27.2, p < .001.

この実験結果は、クノービ効果、ないし副作用効果、と呼ばれる:道徳的判断が、意図的行為の判断に対してもつ影響。

道徳的に悪い副作用を持つと判断された行為は、意図的だと判断され、道徳的に良い副作用を持つと判断された行為は、意図的でないと判断される。

クノービ効果は、4歳児、インド系移民、 腹内側前頭皮質に損傷をうけた人々においても、観察されている。

クノービ効果の範囲(意図以外の他の心的態度に一般化可能か)や内実(道徳的考察だけでなく、他の類似した考察も同様の効果を持つか)は、実験的記述主義の中心的研究。

クノービの、クノービ効果についての見解は、これらの(彼が中心となって行っている)研究を受けて、かなり変化していますが、ここではこれ以上解説しません。
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2010年02月20日

Stichと実験哲学(2)

さらに追加しておこう。Stichは、実験哲学の嚆矢となった2001年の論文で、何よりも分析哲学における認識論を、規範的理論だと見なしている。認識論は、記述的理論、つまり概念分析をやって、知識や正当化といった概念を支配する規則を記述するという側面もあるが、それだけではなく、(例えば、文化、歴史相対的に)複数存在する場合、どれを採用すべきかという規範的判断を行うことを目的とする、規範的理論であるというわけだ。

前の論文の註でも書いたが、僕は昔からこの分析的認識論についての彼の理解が、全然分からなかった。こんな規範的理論を目指している認識論者など、僕の知る限りもはやほとんど存在しないからである。ちょっと前まではいたのかもしれないが、僕からすればこれは大昔の認識論の理想、第一哲学の残滓にしか思えないし、そういう思いはおおむね認識論者で共有されていると思う。

しかし、Stichがこうした理解を持つのは、彼が哲学の方法論の問題ををthe Rationality Debateのにおいて指摘された問題とパラレルに捉えているからに違いない、と最近思い当たった。論理学や確率論というのは、確かにStichの言うような、強い意味で規範的であるように思うし。まさにこうした規範的理論と一般の人々が実際に用いている理論の相違というのが、 Rationality Debateの焦点だったからだ。そして、後者が実際にどのようなものなのかを構築する試みもなされて、Kahneman & TverskyのProspect Theoryが、実際の確率判断の「記述的理論」として提出された。この記述的−規範的理論の相違というのは、それ以来実験経済学でもずっと使われているようだ。これをモデルに認識論における記述的−規範的理論を考えているのだろう。まあ、だからといって、このモデルが認識論に対して正しいということにはならないが。

むしろ、Stichのような理解をしている人は、僕の見る限り、分析的認識論の外から来た人の方が多い。例えば、Susan Haackも、ほぼ同様の理解を認識論に対してもっていて(regulative epistemologyと呼ばれる)、彼女の本

Susan Haack (1993). Evidence and Inquiry, Oxford: Blackwell Publishers. (最近2版が出たが、これは1版)

では、繰り返しこの点が強調される。

ちなみに、Stichの認識論的プラグマティズムというのは、分析的認識論に正直なんら強い影響を与えなかった(なので、僕は読んでいないが、翻訳の惹句は言い過ぎだと思う)のだが、これはこの本が強力な批判を展開したことが理由だ。Stichと共に実験哲学者の立役者の一人であるWeinbergさえ、この本の批判によって、自分は認識論的プラグマティズムを支持しないと、ある論文で書いている。

なお彼女の立場、Foundherentismというのも、ほとんど影響を与えなかった。僕はこの立場が従来のものとどう違うのか、いまいち理解できない。しかし、この本は名著であり、認識論、とくに基礎付け主義と整合説の問題を勉強する人は必読である。Stichの本も翻訳されたし、誰かが翻訳すればよいと思う。

さらに言うと、

Michael A. Bishop and J.D. Trout (2005), Epistemology and the Psychology of Human Judgment, Oxford University Press.

も、同じように認識論を強い意味で規範的と解釈して、自然主義的観点からよりよい規範を探求するという内容だ。Stichにしてもこの本にしても、自然主義的でない現行の分析的認識論に対してかなり批判的なわけだが、彼ら自身のプロジェクトは、分析的認識論がもはや失った、第一哲学という実に古い認識論の伝統を引き継いでいるように見える。

日本で分析系認識論は人気がないが、自然主義的認識論は人気があると思う。近年の自然主義的認識論における指導的哲学者たちの中では、StichとKornblithはすでにかなり知られているようだから、残る大物はこのBishopしかない。この人はStichの盟友のような感じで、Stich and His Critics編集者でもある。そして、Stichもこの本の書評を書いている。

でも本音をいうと、自然主義的でない分析的認識論も面白いんだぜ、ということを言いたいなあ。このブログは、そのために始めたんだけど、どこまでこの狙いを達成できているかは、謎だなあ。分析的認識論を研究している人がいたら、是非交流したいんだけどな。
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Stichと実験哲学(1)

実験哲学の方法論というのは、明らかにKahneman & Tverskyらの、Biases & Heuristics Approachをモデルに構築されている。これは、やはり彼らの一連の実験によって引き起こされたThe Rationality Debateの参加者であり、実験哲学の創始者でもあるStichの影響が大きいだろう。実験哲学には幾つか立場があるが、方法論は皆共通している。

The Rationality Debateは今でも継続しているが、まあ初期の頃に問題だった、人間の合理性を、経験的に反証できるのかというCohenによって提唱された問題は、できるということでけりがついている。Cohenは、できないという答えを擁護したわけだが、その際に彼が使ったのが反省的均衡に訴える戦略である。実験哲学者は、哲学の方法論を反省的均衡として定式化することが多いが、これもThe Rationality Debateの影響だろう。この辺りの事情は、今ではもう古典の部類にはいるが、以下の本が詳しい。

Stein, E. (1996). Without Good Reason: The Rationality Debate in Philosophy and. Cognitive Science. Oxford: Clarendon Press.

Cohenは、Stichの1990年の本にも、彼がKahneman & Tverskyに対して行ったのと、(より穏当だが)類似の路線の懸念を表明している。

実験哲学の中でもStichらがとっている、実験的制限主義という立場は、一番ラディカルなので、いろいろと論争を呼んできた。しかし、僕がややつまらないなと思うのは、この立場への反論のほとんどが、The Rationality Debateで既に提示された反論のパターンの範疇を超えていないということだ。例えば、非哲学者の直観よりも、職業的哲学者の直観が重視されるべきだ、とするいわゆるExpertise Defenseというのは、まあThe Rationality Debateでも見られたタイプの反論である。反省的均衡の観点からすると、これは哲学理論を反省的均衡にかける際に、いわゆる一般人の直観と職業的哲学者の直観のどちらの均衡を重視するのかというという問題に、後者だと答えることに等しい。

Alexander, J., & Weinberg, J. M. (2007). Analytic Epistemology and Experimental Philosophy. Philosophy Compass, 2(1), 56-80.

では、この立場をintuition elitismと呼び、前者だと答える立場をintuition populismと呼んでいる。彼らは言及していないが、これらの用語は明らかに、

Thagard, P. (1982) From the Descriptive to the Normative in Philosophy and Logic. Philosophy of Science 49:24-42.

という、the Rationality Debateに関わる論文に由来している。Thagardは、この論争で問題だった合理性関する理論(論理学、確率論)を反省的均衡にかける際に、専門家の直観との均衡を重視する立場を、elitist strategyと呼び、一般人(非専門家)のそれを重視する立場をpopulist strategyと呼んでいる。

Thagardの分類では、Cohenはpopulist strategyの論者であり、事実これこそ、一般人の直観が確率論の規則に合致しないことが、一般人の合理的でないと言う理由にはならない、という彼の論点の基礎である。簡単に言えば、合理性についての理論は、一般人の直観とおおむね合致するべく立てられるべきであり、後者が前者の基準であって、逆ではない。

面白いのは、Thagardがelitist strategyの論者として挙げるのが、

Stich, S. P. & Nisbett, R. E. (1980) Justification and the psychology of human reasoning. Philosophy of Science 47:188-202.

だということだ。この論文の内容は、専門家の直観が論理学においては重視されるという立場である。Stichはthe Rationality Debateにおいて、Expertise Defenseを擁護していたのだ!これは、実験哲学における彼の立場と真逆である。まあ、問われている理論が、論理学と哲学と全く違うし、かなり昔の論文なので、立場も変わっているだろう。しかし、これはなかなか面白い話である。今度の学会で彼と話すだろうから、是非この辺を聞いてみたいと思っている。


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2010年01月29日

実験哲学からの挑戦

実験哲学で検索してうちのブログを見てくれた人が最近随分います。おそらく、実験経済学・哲学の学会の情報をかなりの人が知ってくれたからだと思います。

といっても、うちのブログは今まで実験哲学のことは全然書いていません。申し訳ないので、去年に応用哲学会で発表するために作成した論文をアップすることにしました。実験哲学の立場の一つである、実験的制限主義とその批判的検討が主題です。この論文は、最終的に学会誌に投稿することを意図していましたが、当時いろいろと不満な点があり、一年近く放置していました。あまり手直しもしていませんが、この一年でまたいろいろと論文が出ましたので、それらの情報を盛り込み、幾つか註を追加しました。まだ文章、内容面で完全なものとは言えませんが、実験哲学をこれから勉強したいという人には、それなりに役立つと思います。

この論文の内容は、

1、実験哲学内の立場の一つである、実験的制限主義を巡る議論のサーヴェイ。
2、直観の認識論のサーヴェイ。
3、実験的制限主義の批判的検討。

となっています。実験哲学についてはすでに幾つかサーヴェイが出ていますので、一応それら以上のものしようと頑張りました(他のサーヴヴェイは数年前に書かれていて、展開の早い実験哲学のサーヴェイとしては、やや時代遅れになっています。この論文は、現在入手できる限りで最新の文献までフォローしているので、2010年1月現在で、最もuptodateなサーヴェイになっていると思います)。また、実験哲学を巡る議論を理解するには、なにより直観がどのような認識論的役割を持っているのかを知る必要があります。このトピックは現在の認識論のホットトピックの一つなので、それについてかなり詳しく書き、結局サーヴェイ内サーヴェイという感じになってしまいました。サーヴェイばかりではオリジナリティがないので、一応最終節で自分の意見を書いています。

実験哲学の一立場に焦点を合わせていますので、実験哲学一般のサーヴェイとしてはやや不完全です。特に、実験哲学の立役者の一人、Joshua Knobeの実験と、それに関する議論については、註で文献を挙げているだけで、それについての記述がまったくありません。この実験は、次の学会の招待講演者の一人、James Beebe氏のやった実験のもとになっているものなので、いずれこのブログか、どこかできちんと紹介します。

この論文はまだ一部未完成なので、引用や転載を原則禁じます。もしそういうことをしたいという方がいれば、連絡してください(連絡はコメント欄か、僕の大学のホームページからメールでお願いします)。質問やコメントは歓迎しますが、答えられない場合もありますので、ご寛恕ください。

PDFをブログ上に埋め込んでいます。一番右上のアイコンをクリックすると、全画面表示になります。



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2010年01月03日

学会:実験哲学と実験経済学

皆さん、新年明けまして、おめでとうございます。今日は学会の開催のお知らせをしたいと思います。

実験哲学は、近年英米圏で拡大している哲学運動ですが、まだ世界にも例を見ない実験哲学と実験経済学共同の国際学会が、3月27,8日に京都産業大学で開催されます。京都産業大学の小田先生の作成された学会の概要並びに発表募集要項を、以下に転載します。この学会には僕もわずかながら協力していますので、多くの人が参加してくれると嬉しいです。

京都産業大学は,今年3月27-28日に,実験経済学と実験哲学の国際会議

How and why economists and philosophers do experiments: dialogue between experimental economics and experimental philosophy

を京都産業大学で開催いたします.

年度末で御忙しいときでしょうが,ご参加いただければ幸いです.

招待講演者は,会議のサイト:

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/project/orc/execo/conf2010/index2010.html

にある通りです.Ido Erev,Urs Fischbacherは実験経済学にかぎらず心理学や脳科学の領域でも成果を次々にあげている有力な研究者で,Shu-Heng Chenは計算機経済学の指導者のひとりです.Stephen Stichは実験哲学の創始者(代表作は日本語で読めます),James BeebeはExpereminetal Epistemology Research Groupの主催者であり、倫理学で行われていた有名な実験を応用した実験を認識論で行うなど、実験哲学の哲学内部での応用の可能性を広げている研究者,笠木氏は,実験哲学を研究している日本の数少ない研究者のひとりです.

実験哲学とは何だろうかと訝しく思われる方もいらっしゃると思いますが,英語圏で近年注目されている哲学運動です.以下に笠木氏による紹介文を掲載します(英文は上記サイトにあります).

実験哲学とは、近年英米圏で急速に注目を集めている新たな哲学的運動を指す。様々な立場が実験哲学と呼ばれているが、それらに共通するのは、哲学的なケースに関するわれわれの直観的判断を実験心理学的手法を用いて分析するということである(また、直観プロセスについてのfMRI測定に基づく研究も含まれる)。伝統的哲学の方法論は、直観を所与と見なし、哲学的理論を構築するための、またそれを裏付けるための証拠として用いる、というものだった。しかしながら、こうした直観がどのようなメカニズムで生じるのか、またどのようなファクターが直観に影響を与えるのかという点に関して、従来十分な研究がなされてきたとは言い難い。こうしたメカニズムの解明に対して、実験心理学の手法は大きな成果を挙げると考えられている。しかしながら、実験哲学の成果が伝統的哲学に関してどのような重要性を持つのかということについては、哲学者一般、ましてや実験哲学者の内部でさえ合意が存在せず、活発な議論が現在行われている最中である。ある立場は、非哲学者の直観が哲学者のそれとは異なるという実験結果を受けて、直観の無制約の使用に依拠する伝統的哲学の方法論を批判する。他方、実験哲学の成果を伝統的哲学に対する重要な貢献と捉え、両者を共に発展させようとする立場もある。したがって、実験哲学は、単に直観に関する心理学的解明という経験的意義に留まらず、哲学の方法論の再検討を促すという点で、大きな哲学的意義をもつ運動である。

実験経済学も,半世紀あまりの歴史を経て経済研究の一方法として確立するとともに,脳活動計測実験や野外実験など新しい方法の導入と様々な科学との交流が深まっています.哲学との交流は日本ではまだ盛んではないように思われますが,Stich教授が「Danny Kahneman, who shared the Nobel Prize with Vernon Smith, has been a friend for decades」と言うように,関心と方法で重なりあい,互いに学べることが多いと思います.経済学,哲学,工学そのほかの分野のかたが気楽に集まって積極的に議論する会議になることを期待しています.

6名の招待講演のほか,一般報告のセッションも設けますので,希望者は1月末までに,概要(主要な参考文献の目録を含む,2頁以内のもの)を

exp-ksu2010@cc.kyoto-su.ac.jp

に御送りください.
実験経済学や実験哲学の発表はもちろん歓迎ですが,直接あるいは間接に会議の主題に関連するものなら分野を限定しません.
報告の可否と日程については,締切一週間後までに御伝えします.

会議の登録ページがまだできていませんので,参加希望のかたも上のアドレスにお名前と御所属と連絡先(メイルアドレス)を御送りください(この会議についての質問や意見も歓迎します).
会議の前後に実験哲学の入門セミナーなどを組織できるかもしれません.
新しい情報はサイトでそのつど更新されますので,ご面倒ですが参加希望のかたはときどきサイトをご確認ください.
posted by hakutaku at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 実験哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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