2011年08月17日

34th International Wittgenstein Symposium

8/7 ~ 8/13
34th International Wittgenstein Symposium, Kirchberg am Wechsel, Austria

8/7
明日からの学会を前に中休み。日曜なので、飲食店除いて店が全て休みだった。朝に2時間くらい一人で散歩。ちょうど行くときに、またGoldmanと会ったので、あいさつ。

帰ってきて、友人たちと一緒にランチをつくって食べ、さらに散歩に出発。Kirchebergという名前から分かるように、教会が多い村で、それらを回ったりする。それから皆で、アイスクリーム屋によると、またGoldmanに会った。それから一休みして、また僕のホテルであったレセプションに参加。その途中またGoldmanに遭遇し、「君はなぜか私の行くところにばかりいるなあ」、「これは偶然ですかね、それとも僕があなたのストーカーなのかもしれません」、「しかし、君のストーキングは実に不思議だ。私より先にそこにいるんだから」、「実は予知能力があるんです。今のところ、信頼可能だと言えますかね」、「わはは」、というようなやり取りをした。レセプションは、サマースクールのときと、まったく同じ感じだった。このとき、日本から来たSさんと知り合う。


ウィトゲンシュタイン・シンポジウム 8/8 ~ 8/13

8/8
いよいよ。ウィトゲンシュタイン・シンポジウム。今年のテーマは、認識論で最もホットな、「contextualism/invariantism」、「Value of Knowledge」、「Peer Disagreement」で、著名な認識論者を一杯招待している。まあ、この学会も査読が名目だけで、ないに等しく、なんでも通しているので、かなり論文の質ににばらつきがある。なのでかなり綿密にすでに発行されているProceedingsをチェックして、どの発表に参加するかを決めようと思ったのだが、なぜかProceedingsに載ってない論文がいっぱいある。これはほんとになぜか分からない。

後に、招待講演者の扱いに差があり、一部は飛行機代、宿泊代、一部は宿泊代のみと差別があると聞いた。一部は1時間半の講演で、一部は一般発表と同じ40分の発表だったのも、そのせいかもしれない。英語圏とドイツ圏からの招待講演者を同じ数にしているようだった。

この日は、後で仲良くなるドイツ人院生Kさんの発表を聞いて、質問したりした。

この日のJohn Grecoの講演は、知らない話はあまりなかったが、非常に明快で、とても良かった。講演後に、ひとつ質問しに行ったら、「その通りだ、ちょっと考えてみる」と、とても誠実な人だった。彼が他の発表で質問するのを何回か聞いたが、どれも的確で感心した。一度きちんと話したかったが、学会途中で帰ってしまったようで、実現できず。とても残念。

その後近くのワインセラーの提供で、ワインの試飲会。この学会は、コーヒーや昼食などのサービスが有料だったけど、いろいろイベントがあるので、高い学会費も分からないでもない(飲み物用のクーポンは何枚かもらえるけど、それを超えると有料)。まあ、僕は頼み込んで学生用の格安の学会費しか払ってないので、不満はまるでない。

8/9
朝一のWayne Davisの講演が、極めてクリアーで、分析系のお手本のような発表だった。しかし、次のドイツ人の講演は、まあ最悪だった。なぜか延々と、contextualismとrelativismのまとめをやっていて、40分経過しても、まだ自分の主張とやらに至ってない。このまとめが、かなり内容を詰め込んでテクニカルなところまで踏み込んでいるのだが、僕らこれを専門にしているものにはすでに自明なことだし、非専門家には、テクニカルすぎて分からないだろうというもので、ホント何のためにあれをやっているか疑問だった。しかも、その次に彼女が、自分が発見した文脈主義の問題と主張する問題も、すでに他所で言われているばかりか、解決まで提示されているもので、なんだこりゃという代物だった。彼女が挙げていた文献にも、それを扱っているものがあるので、なんでそれを見逃しているのか、訳がわからない。しかも、その解決の一つは、この講演の司会をやっていたCohenのアイデアか、それに基づくもので、よくこれCohenの前で言うなあ、とはらはらしてしまった。

その解決を指摘しようと思って手をあげたのだが、最初のKornblithがした質問が、まさにその解決そのものだった(彼が知っていたかどうか知らないが、普通に考えつくのもそう難しくないものだ)。その後、マイクが僕のところに来たが、彼が言っちゃいましたと言ったら、Kornblithが笑いかけてくれた。彼の質問に対する回答は、「ある可能性を思い浮かべることが、必然的に文脈を変化させる」という、どの文脈主義者もとってない想定を自明視したもので、まあ当然回答になっていない。

この後、前からメールでコンタクトをとっていた、Jessica Brownが来て、あいさつを交わした。とても気さくで良い人で、学会の間幾度も話すことができた。彼女ほどの人が一般発表で来てるってのが、信じられないな、しかし。

午後はまず、Sven Berneckerの発表に参加。言ってることは正しいけど、あまりにもトリビアルな内容で、あんなことを発表する意味が分からなかった。予想通り、質問では、猛攻撃に合っていた。正しいこと言えばいいってもんじゃなくて、やっぱりどの程度面白いか、意義があるかが重要だ。その次の発表も、あの悪名高いGypsy Lawyerケースを使ったもので、あれだけ批判されたケースを、何の説明もなく、自分の直観に合っているからというだけで使うのは、論点先取でしかない。なぜあのケースが悪名高いのかを説明して、同様に彼のケースも問題だと指摘したら、、KornblithとBrownから、後で褒められた。しかし、発表者と次の日に話したのだが、直観の使用に関する考察が極めて甘く、彼によれば、僕のような立場が、彼に対する論点先取だと言って譲らなかった。何度説明してもわかってもらえなかったので、やや疲れた。

あとIgal Kvartの発表も聞いたが、論文から受ける印象以上に混沌としていて、自分独自の観点からいろいろとアイデアを展開してるのだが、内容の複雑さ、新奇さに加え、英語の滑舌が悪くて、あまり理解できなかった。

この日は、また僕のホテルで、発表者用の会食会というのがあった。でも行ったら、発表しない人もいっぱい来ていて、遠慮した人にアンフェアだなあと思ってしまった。この会食に行く最中に、KornblithとAdam Leiteを間違えて、かなり失礼なことを言ってしまうが、それを機に、Leiteの立場についての質問がいくつかできた。

会食では、Brownとちょっ認識論のと話をして、Kornblithに、「日本であなたの見解はとても人気があります」と言って、いろいろ話をした。彼が自然主義者になった経緯なども聞いて、面白かった。

その後、ホテルで同室のJ君と、昨日発表を聞いたKさんと話す。このKさんが面白くて、僕の言うことにいちいち反論するのだけど、まずそれは違うと言って、それから理由を考えるという感じで、とても負けず嫌いな感じ。自分でも負けたくない、とか途中で言っていた。僕はサマースクールのときから、こういう若い人達に対する教育的配慮が少し生まれてきて、いろいろと彼らが見過ごしていそうな点に言及しては、質問して、その反応を楽しんでいたのだが、このときの反応が一番面白かった。

8/10
最初の講演は、Meredith Williams。『探求』の最初のあたりの詳細な解説で、話はうまかったが、内容的にはさほど新しいものはなかった。次のドイツ人の講演は、学会のテーマと何の関係もない、自己知に関するものだった上に、ある概念を定義して、それが言えれば、一人称特権を特殊な能力やマジックに頼らず説明できるというもので、そりゃ自分で最初の概念定義してるんだから、何でも言えるわ、というもので、まあ最悪の発表だった。あと、質疑応答もひどくて、重要な質問に一つもまともに答えていなかった。

昼からまず、Peter Baumanの発表。すでに出版されて、批判されている論文の短縮版。この論文の内容を覚えていなかったが、話を聞いた瞬間に、一つの前提が、明らかに偽なので、なんじゃこれはと思った。Wayne Davisが一発目にそれを指摘したのだが、その回答が、必要以上に強いテーゼを批判者側に読み込んでいたので、その点を指摘したけど、回答はどう考えても、一階と二階の知識を混同しているとしか思えなかった(この点もすでに、CohenとDavisが指摘していた)。この次のChristoph Jagerというドイツ人の研究者の発表も、聞いた瞬間に一つの前提が明らかに偽としか思えなかったのだが、やはり一発目にJohn Grecoがそれを指摘した。そしたら、他の前提については考えていたけど、この前提だけはだれも疑わないだろうと考えていた、とか言って、かなりぐだぐだになってしまった。この前提は、すべての哲学的文脈が懐疑論的文脈だというもので、当たり前だが文脈主義者は、それを受け入れる必要はない(Lewisはこれに近いことを言ってるけど、彼にしても別にそれを積極的に受け入れる必要はない)、それにDeRoseが、この点についてはすでにいろいろ言っていたはずで、まあなんとも考えなしの論文だった。こんなことなら、同じ時間のMartin Kuschの発表に行けばよかった。

この後の発表が、この学会の優秀論文の2つのうちの1つで、是非聞きたかったのだが、上で書いたように、昨日の発表者の一人と話していたら時間が過ぎてしまった。ものすごく後悔。

その後、Marian Davisの発表。まとまっていて良い発表だったが、内容にあまり共感を覚えず。

次のコマで、Sanford GoldbergとAnnalisa Colivaの発表とかぶっていて、ひどいと思った。Goldbergはとても人の良さそうな人で話も面白くて、発表に行こうと思っていたのだが、Colivaも優れた研究者で、彼女の論文、本を僕は全て読んでいる。彼女とはちょっとだけ話して、あなたの本が『確実性について』の本の中では、ベストだと思う」と伝えておいた。

この次のコマには、Erik J. Olssonの発表があったのだが、ウィトゲンシュタイン型文脈主義の発表があったので、断腸の思いでそちらへ。ところがこれがひどくて、文脈主義を解説して、それには批判があるし、ウィトゲンシュタインの解釈としても合っていないないので、自分は他の解釈をとると言って、それを解説して終わり。その解釈も、極めてオーソドックスなもので、それ言いたいなら、べつに文脈主義ださなくてもいいじゃん、というひどい内容。質問で、「2つ質問がある、まず、あなたの解釈に基づく反懐疑論戦略には問題がある、それがMichael Williamsが、その方向に行かない理由だ」、と言って、その理由を解説した。予想通りこの辺をまともに考えてなくて、すでに彼が言ったことの繰り返しだったので、「あなたはまたそれを言うと思っていた。、そこで、二つめの質問がある」といって、そのポイントがなぜ、懐疑論に対して有効でないのかを述べた。回答がやはり明確でなかったので、さらに言おうと思ったが、時間を取り過ぎているので、「まあここで終わります」と言ったら、後ろからDaniele Moyal-Sharrockが「面白いから、もっとやりなさいよ」と声をかけてくれた。もっともやってもよかったが、自粛。

しかし、この直後、発表者が乗らなければならない列車の時間が迫っていて、タクシーが今到着したという連絡が。ここで司会が、あと一つくらい質問受けてからと言ったのだが、僕とMoyal-Sharrockが列車の方が重要に決まっている、今すぐ行け、と言って、時間を余してお開き。彼女は、この後、自分の観点から僕の質問に答えてくれたけど、やっぱりウイトゲンシュタインの話をすでに受け入れてないと、肯定できないなあというものだった。でも、認識論者として、そこまで極端なことは言いたくないので、まだ彼が正しいか考えています、と言ったら、ニヤリと笑って「まあ頑張ってみなさい」だって。

夜はSさんと、初日に発表したNさんという日本人のみで食事。明日発表だというのに結構遅くまで飲んだので、ホテルに帰ってあわてて、もう一度重要な文献をさっと読み直し、自分のスライドのチェック。


8/11
朝一のドイツ人の講演がまたもや意味不明。前半はSartwellの話のまとめで、後半はそれをもとに、知識概念なしで認識論をやるべきだ、という話。どう考えても、前半と後半がつながっていないし、前半の話にもすでにめちゃくちゃ批判があるのに、あまり触れていないので、かなり不満だった。休憩のときに、Kornblithと話したけど、彼もよくわからんな、という感じだった。その後、Goldmanの講演。社会認識論と民主主義という内容で、言ってることは全て正しいだろうと思ったけど、あまり内容が無いように思えた。

午後は最初の発表をさぼり、もう一回スライドのチェック。2個目の友人の発表にはなんとか間に合った。

その次は、いよいよ僕の発表。自分ではいつも通り、あまり緊張していないと思っていたけど、思った以上に緊張していたらしく、あまり英語がスムーズに出てこなくて、まだまだだなという感じ。Jeniffer Lackeyの見解を批判するというものだったので、当然一つ目の質問は、Lackeyから。これは予想済みの質問だったので、うまく答えられた。次にKornblithが、完全に同意するが、他にもこの直感を説明するやり方があるのでは、といってある例を挙げた。これは、僕を助けるための例なので、ありがとうございますと言ったのだが、後からLackeyから、あのタイプの例に関しては論文中で拒否するための議論をしている、と指摘された。次に、Igal Kvartから、確率論的見地からの質問がきた。彼はやはりかなり独自の見解だったけど、似たようなことは僕も考えていて、今回の発表で時間がなくてスキップしたことだった。ちょうどいいと思って、そこのスライドを見せて、自分の考えを説明。最後に、Brownが時間がないから、簡単にと言って、自分やBaron Reedの反例について、どう思うかと質問。僕も、時間がないから、簡単に答えます、と言って、「僕の直観とあなたの直観が違うと思う」といって、ほんとはもっと言わないといけないけど、時間がないからあとで、と言った。そのReedも手を挙げていたけど、時間がなくて、回らず。彼とLackeyは夫婦で、一家総出で来ていて、かなり忙しそうにしていたので、最後まであまり話す時間が取れず。

この後、Lackeyと話して、「何か自分に質問ある」と言われたのだけど、発表が終わったあとの反動か、なにも思い浮かばず、特にはないです、と言ってします。なので、彼女から、いろいろ僕の論文についての意見を言ってもらって、さらに読むべき文献なども教えてもらう。KornblithとBrownから、それなりに褒めてもらったので、まあ満足できる出来だったと思う。この後Lackeyへの質問を思い出して、もう一度話そうとしたのだが、彼女が忙しすぎて、メールでということになった。

Brownの発表を次に聞いたが、どうも納得できない点が残った。どうも何かを僕が見逃している気がして、次の日にも彼女と話したのだが、ちょっと話が食い違っている感じだった。

この後のBaron Reedの発表が、一部おかしいと思った所があったが、内容の豊富さ、新しさ、アーギュメントの緻密さ、などで、この学会でベストと思えるものだった。ほんとよくあれだけの内容を、あんなに簡潔かつ要領よく、クリアーに話せるものだと感心した。あんな発表したいものだ。

このReedの発表もDaniele Moyal-Sharrockのと同じ時間帯で、なぜ有名人2人を同じ時間に入れるのか不思議だ。僕は彼女の本も読んでいて、是非発表も聞きたかったのだが、専門からするとReedの方に行くしかない。5,6日目はほとんど学生の発表だったのだから、もう少しスケジュールを考えてほしかった。

この後ウィトゲンシュタイン・ツアーに参加。彼が教えたという小学校を見て、ワイン、ビール、食事を振舞ってもらう。この村の村長の挨拶や、ウィトゲンシュタインの小話も聞いた。横に小さな博物館があり、ウィトゲンシュタインが使ったベッドなどが展示してあった。

8/12
オーストリアの朝食は、ハムとチーズとパンで、毎日同じ。かなり飽きていたので、朝飯を買いにスーパーへ行くと、Brownも来ていて、これから帰るという。最後なので、また少し話をして、激励の言葉をもらう。いい人なので、いろいろ褒めてもらって嬉しかった。

朝のStwart Cohenの発表も、クリアでとても良い発表だった。この日は、ドイツ語の発表ばかりで、しかたなくウィトゲンシュタイン関係を聞きに行ったのだが、これもなぜかサマースクールの生徒のものばかりで、かなりクオリティが低かった。あと英語が不安だと前から言っている人が、ハンドアウトもパワポもなして、読み上げで発表しているのを見て、やる気あるのかと思った。やはり、理解してもらう努力は必要だろう。

それなりに良かった発表が一つあったが、その立場の整合性に疑問があったので、質問した。すると後から、Kornblithが自分も同じ疑問を持ったというので、我々と質問がかぶることが多いですね、と笑いあった。

夜のLackeyの講演は、クリアでまとまっていたけど、今までの彼女の理論を踏まえてのものだったので、その辺に知識がない人には、わかりにくい内容だっただろうと思う。

8/13

最終日。学会の最中は、基本的に同じホテルのKさんとS君の朝食を一緒にとっていた。なのでKさんと毎日話していたのだが、彼女の僕への態度が、初日の結構強烈なものから、徐々にリスペクトあるものに変わってきた。これはサマースクールのときにも少し感じたことで、僕はアジア人で、かなり若くみられるのだけど、僕が質問したり、解説したりするのを聞くうちに、それなりの哲学知識を持っているのが分かるので、態度が変わるのだろうと思う。この日のKさんは、自分の発表でのあなたの質問を考えてきたけど、あなたに賛成して立場を変えることにした。やはり、自分の発表した立場は、おかしいと思う、などと言い出した。ちょっと行き過ぎだと思ったが、こういうふうに率直に立場を変えられるというのも、すごいことである。

その後まず、ドイツ人の文脈主義についての発表を聞いたけど、彼が新しい文脈主義と言っているものは、単に昔からある不変主義で、しかもそのどちらが優位かで議論があるのに、彼は、これこれのケースに自分の文脈主義は、通常の文脈主義と違う診断を与えますというだけで、そんなもん、その定義聞いた瞬間分かるわ、というものだった。彼の文脈主義の内実も、いろいろな知識の理論をまとめただけで、整合性にも問題があるしろもので、まあひどかった。この学会を通じて、ドイツ人の認識論の発表、講演に一つも感心しなかった。やはりドイツで分析系の認識論は、まだまだ黎明期で、そこのトップでも、英語圏の上位スクールの博士の生徒にも負けるくらいのレベルだという感想である。

この後、Hintikkaの発表を聞いたが、もごもご話していて、誰も理解できず。ただ、CarnapとHeideggerについての発表で、彼が"I know Carnap. He is a very nice man, very serious, but very pedantic."と言ったらしくて、生ける歴史の証言だと、みんなで受けた。

最後のKornblithの講演は、非常にシンプルなポイントを、いろいろ形を変えて語っていて、一般聴衆向きの発表としては、非常に良く、認識論の専門家以外には、すごく受けが良かった。僕にはやや簡単すぎて、もう少し深く突っ込んで欲しかったけど。

この後、ウィーン行きのバスに乗るために歩いていると、何度も顔を合わせたけど名前を知らない年配の人から声をかけられて、「君の質問をいくつか聞いたが、どの質問も非常に鋭くて、君は優れた知性の持ち主だ」と言われる。ほんとかどうか分からないが、まあ学会を締めくくるにこれ以上の言葉はない。ありがとう!

この学会でもいろいろ質問したし、ほんとうに多くの人と知り合いになり、議論もいっぱいした。本当に充実した学会だった。これだけ僕の興味がある分野のトップの人達が一同に介する機会は、もうないかもしれない。ほんと会場にいても、有名人ばかりで、ほとんど夢の世界だった。

この日は、夜行まで時間をつぶす必要のあるサマースクールからの友人たちと、昼飯をたべで街をぶらぶらした。D君とはここでお別れ、かなり長い間一緒にいたので、なかなか分かれ難かった。その後、夜はSさんと台湾人研究者のCさん夕食を食べ、また散歩。最後はアイスクリームで締め。ウィーンのおかしは、カナダのものほど甘くなく、甘いものがあまり好きではない、僕でも普通に食べられた。

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3rd Ludwig Wittgenstein Summer School

8/3 ~ 8/6
3rd Ludwig Wittgenstein Summer School, Kirchberg am Wechsel, Austria

8/2
サマースクールは8月3日からだが、2日の夜にレセプションがあるということで、夕方にウィーンから移動。最寄り駅まで電車で行き、特別のシャトルバスでそこから会場のKirchbergに移動。7時のシャトルバスには、5人しかいなかったので、バスを待っている間にうちとけて、特にスイスから来た、これから修士に進むというS君、D君と仲良くなった。

会場で登録を済まし、レセプション会場のホテルへ。偶然にも自分の泊まるホテルもそこで、便利だった。ホテルの部屋は二人部屋で、今は僕一人だけど、学会が始まるときにもう一人来るとのこと。僕は学会の規定で、論文投稿時にホテルを申し込んでいたのに、それでも希望通りの一人部屋にならないのかと驚いた。ホテルは、まあちょっと大きな民宿という感じで、立地もよかったが、部屋は一風変わっていた。まず、部屋の隅にシャワーがあるが、敷居がなく、いわゆるバスルームがない。トイレは廊下に共同のものがあるが、手洗いがなく、手を洗うためには一回部屋に戻ってこなければならない。部屋の鍵も一つしかないので、外に出るときに必ず玄関のキーホルダーにかけないと、部屋の掃除ができないので困ると後で言われた。

レセプションは、ホテルのホールが会場だったのだが、なんのアナウンスも、オフィシャルの自己紹介もなく、皆が集まったときにてきとーに食べ始め、飽きた人から帰るという感じで、もう少しなんとかならんのかという感じだった。周りの人と話すと、学部生から、修士、博士と広く集まっていて、ポスドクも僕以外に1人いた。国籍はやはり、ドイツ、オーストリアが多かったが、世界中から集まっていて、インド、中国からの人もいた。サマースクールは今回で3回目だけど、ヨーロッパからの人は、以前も参加したという人も多かった。

そんなに会費も高くなく、3食付きで、宿も会場の小学校の横にあるボーイスカウトハウスなら格安なので、リピーターが多いのも分かる。高原にある、とても綺麗なところで、夏を過ごすには最高の場所だ。

この村は、かなり観光地として有名らしく、もっと僻地を予想していて、食材もいろいろ持ってきたりしていたのだが、レストランやスーパーも充実していて、完璧にリゾート地として整備されていた。物価も安くて、かなり快適だった。今後ウィトゲンシュタイン・サマースクール、シンポジウムに僕が参加するかどうかはテーマ次第だけど、是非とももう一度行きたいくらい。

8/3
一夜明けて、3日の朝からサマースクール開始。教師役は、Peter HackerとJoachim Schulteの二人。開始直後に、Schulteがほとんど準備ができてなくて申し訳ない、といいながら、「確実性について」の執筆背景を説明した。それがほんとにぐだぐだで、かなり拍子抜けした。その後、本格的に講義開始かと思いきや、購読方式で進むということで、数パラグラフを誰かが音読し、それについて生徒が質問かコメントし、教師がリプライするというもので、正直期待はずれだった。僕は最近の『確実性について』ブームはかなりフォローしていて、いろいろ解釈上の争いがあることも知っていたので、サマースクールでは、そういう諸解釈を踏まえて、二人の教師がうまくウィトゲンシュタインの立場を解説するものだと思っていた。それが購読で、ペースもかなり遅く、1コマ1時間半で、1,2ページという進度である。読む箇所も、教師が適当に選んでいて、ここ読む必要あるかというところもあり、正直教師の準備不足が目立った。こういう購読スタイルはヨーロッパでは普通らしいが、北米でやったら、めちゃくちゃ批判されるだろう。

始まってすぐ思ったのだが、まあ生徒が多様なので、質問にも相当質、内容に差がある。僕と学部生以外は皆ウィトゲンシュタインをある程度専門に勉強している院生ばかりなので、皆ウィトゲンシュタインに一家言あるのはわかるが、相当とんでもなのもあり、あれだなあ、という感じだった。あと、こういう自由発言方式だと、どうしても発言が一部の話好きの人に集中してしまう。サマースクールの間に、全く発言しなかった人も多くいて、もう少し進行を考えたほうが良いと思った。あと、教師の司会にもかなり問題があり、ある生徒の発言に何のコメントもないとき、何も言わず次の生徒を指さして、先に進んでしまうことが多々あった。これは生徒がかわいそうだし、発言意欲を削ぐので、絶対にやってはいけないことだろう。まあしかし、Hackerはある程度断定的なことをいうので、まだ理解の助けになるところもあったが、Schulteは全く断言的なところがなく、つねにここはここに書いてある以上のことは分からないだとか、『確実性について』は、不整合な箇所もあり、統一的に読めないから、などと消極的な発言ばかりしていて、全く理解の助けにならないばかりか、やる気あるのかという感じだった。二人共基本的に生徒に話させ、自分たちは黒子のような役割をしたいという感じのスタンスだったが、これだけ背景、知識の違う生徒相手に、それが適切だったとは思えない。

生徒の発言を聞いていて思ったことは、まあ議論のスタイルがまったく分析哲学のクラスと違う。アーギュメントを問題にせず、ウィトゲンシュタインが何を言ったのか、その哲学的意義は何かというあたりが中心トピックだった。皆ウィトゲンシュタインの言葉にすごく感銘を受けていて、それが正しく、かついまだに認識論的に新しく、重要だという考えが、広く共有されていて、僕のようなスタンダードな認識論者からすると、アーギュメントもないのに、なんでそんなにこれが正しいと思えるのだろうか、と異様に感じたほどだった。後にD君がからかい半分で言っていたが、「ウィトゲンシュタインが言ったことが、正しいのは確実だ。残る問題は、彼が何を言ったか、ということだ」、というスタンスの人が多かったと思う。

1日目の午後に、僕がここのウィトゲンシュタインのアーギュメントは、少なくとも彼の狙いが"I know"というフレーズを含む文の分析にあるとしたら、あまりにも一般的すぎて成功していない、という質問をしたのだが、教師二人共まるで理解してくれないのでがっかりした。長いことやりとりして、ある程度は僕のポイントをわかってもらえたと思うが、結局Hackerがなんの根拠もなく僕に対する論点先取の主張を繰り返すばかりで、ほんと実りのない議論だった。

そんな感じで、1日目からかなりヤル気が下がったのだが、授業終わったあとS君が興奮した顔で僕のところに来て、「あなたの質問はエクセレントだった。自分にはあなたが完全に正しく、あそこのウィトゲンシュタインのアーギュメントで、"I know"は何の役割も果たしていないようにしか思えない」、と言ってきた。おー、教師さえも理解してくれなかったのに、理解してくれる人がいたよ、と嬉しくなった。この質問は、後に2人ほどからも、非常に良かったと褒められた。

その後飲み会。いろんな人と話して、全然話が通じかったり、感情的になる人もいて嫌な思いもしたが、D君、S君は、ある程度分析系の背景があり、かなり手が会い、話していて楽しかった。なお、この日からウィトゲンシュタイン・シンポジウムが終わるまで、毎日飲み会に行った。やはりビールがおいしい上に、安いので、飲まない訳にはいかない。


8/4
2日目。基本的に昨日と同じだが、1コマ潰して、Hackerの発表と、質疑応答があった。この論文は、かなり微妙で、まずこのサマースクールを通じて、あんなにサールのウィトゲンシュタイン批判はおかしいと言っていたのに、自分の論文ではサールと同じことを言っていて、なんだそりゃという感じ。それから、Williamsonのknowledgeはmental stateであるという主張を取り上げ、それを否定するというのが、一つのポイントなのだが、Williamsonの論点に関する反論はまるでなく、何のためにWilliamsonを出しているのか理解できなかった。


8/5
3日目。基本的に同じ。Hackerが、世界像命題は経験命題で、文法命題と類似しているが、文法命題そのものではない、というので、その場合の「経験的」の意味は認識論的にしか介せないと思うが、どういう意味だと聞いたが、アプリオリでないというだけで、それ以上全然説明してくれないので、かなり不満だった。経験による正当化を認めないウィトゲンシュタインなので、通常の意味ではないはずで、もっと特定しないと話にならない。

夜の飲み会で、ウィトゲンシュタインが仮定していると思われる、"for all e and p, e is evidence for p only if e is more certain than p"という原理を巡り、S君、D君と議論。Hackerの論文には、これに対する反例を提示する箇所があるのだが、その例が反例になってない、と皆で合意し、僕がpを論理的に弱くすれば反例なんかいくらでもつくれるよ、とこの原理の問題を説明した。このときに改めて思ったが、この二人はかなり頭がよく、僕の話にすぐついてこれるし、そこから自分の意見を展開することもできる。特にS君は、その能力がかなり高く、舌を巻いた。

8/6

4日目。半日授業で、サマースクール終わり。修了証明書と、各大学で使える単位を数コマもらう。3日半やって、結局10ページくらいしか読んでないだろう。正直学んだことはあまりなかったが、全く背景の違う人達といろいろ話すことによって、分析哲学というのは、ほんとに英米圏の一部の現象だったんだなあ、と思い知った。僕にとって他の参加者との話をするのは、かなり異文化コミュニケーションで、いろんな意味で楽しかった。この日S君が、スイスに帰るというので、写真をとったりして、またいろいろ話したのだが、なんと彼はSt Andrewsに1学期留学したことがあり、この9月からOxfordで修士をやるのだという。そりゃできるはずだ。

この日いつものレストランで昼食を食べて、出ようとすると、見覚えのある顔の人が一人で座っている。学会のパンフを持っていたので、「学会の参加者ですか」と聞いて、もう少し丁寧な言い方をすればよかったのだが(後で謝った)、「名前は何です」と不躾に聞いてしまう。答えは「Alvin Goldman」で、そりゃ見覚えあるはずだよ!彼とは昔、うちの大学の院生学会に来てもらって、一緒にハイキングにいったこともあるので、「覚えてますか」と聞くと、やはり覚えていなかった。しかし、ちょうどいい機会なので、彼の最近の直観についての考え、(同僚でもある)Stichと実験哲学についての考えなどを聞く。

夜はみんなでバーベキュー。炭火焼みたいな感じで焼いていて、途中あまりにも勢いが弱いので、D君が巻を足したら火がボーとなって、一部黒焦げになってしまった。そこで彼が僕の名前を呼びながら、"What I did is a terrible mistake!"とか言っていて、かなり笑えた。
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14th Congress of Logic, Methodology and Philosophy of Science

7/19から8/15日まで、ヨーロッパで2つの学会と、1つのサマースクールに参加してきました。多少記憶の薄れているところもありますが、自分の記録のために、簡単な日記を思い出して記してみました。

7/20 ~ 7/26
CLMPS (14th Congress OF Logic, Methodology and Philosophy of Science), Nancy, France

7/20
前日にカナダを発ち、朝のうちにド・ゴール空港に到着。まずRERでパリ北駅に移動。三年前にも来たのである程度分かるわいと思ったら、ここから東駅に行くのに迷う。すぐ近くのはずなのに、地下鉄の駅と間違えたりしつつ、40分くらいうろうろして、ようやく到着。次の列車まで一時間もあり、しばしのんびり。

会場について、いろいろな学会グッズをもらう。この学会は会費が高いのだが、昼飯、飲み放題のコーヒー、ジュース、おやつのパンなどが無料で、さらにおみやげや、リュックサックまでくれた。僕は学会からの援助で、学会費、宿代が免除なので、とても得した気分。宿も、ホステルみたいなところかと思っていたら、個室で、シャワーまでついている。ネットも遅いけどワイアレスでつなげて、まるで不満の余地がなかった。

学会に参加し始めてすぐに、多くの発表がキャンセルになっているのに気付いた。まあ、これだけ大きな学会で、要約の締め切りもかなり早かったので仕方ない。問題だと思ったのは、まず発表と発表の間に休憩がなく、部屋を移動する時間がない。さらに、ある発表がキャンセルになったり、発表者が来なかった場合、司会が次の発表をすぐに始めてしまう。同じ部屋で聞き続ける分にはいいが、他の部屋から移動して、すでに聞きたかった発表が終わっていることが数回あったので、そこの部屋の司会に抗議した。すると、そうするように学会側から通達があったという。めちゃくちゃな話だとおもったので、大会本部に抗議にいこうとすると、他の参加者から1人、俺も協力するぞ、とついてきてくれた。2人で大会本部に抗議すると、すんなり受け入れてくれて、キャンセルがでても、元のスケジュール通りに進行するように全員に通知してくれた。

会場で、カルガリーで同時期に博士課程に入り、今はポーランド、ベルギーでポスドクをしているR君、今は他大に移ったE先生と再会。

この学会は京大の科哲の方々を始め、日本人の参加者が非常に多かった。初日の夜は、僕の日本の母校で非常勤したことのあるH先生や、京大の若手の人たちと会食。フランスは食事が高いと思っていたけど、2品プラスデザートのコースで16ユーロくらいで、それなりにリーズナブルだと思った。しかし、フランス語が読めないので、学会中結構同じものばかり食べてしまった。

7/21
雨模様で非常に寒い。カナダよりは暖かいと思っていたが、今年の夏は雨が多いらしく、ヨーロッパ滞在の最後まで悩まされた。ホテルの目の前にパン屋さんがあり、そこでパンを買って朝ご飯。とてもおいしい。

学会は、まずHuw Priceの講演。とても明晰だが、量子力学のテクニカルな話があり、完全には理解できず。質疑応答での、すごく丁寧な受け答えに感銘を受ける。この学会では非常に多くの発表を聞いたけど、専門外なのと、すでに少し時間が経過してしまったので、あまり覚えていない。この日は、古代懐疑論のものが、「古代の懐疑論者は信念を持たない」というテーゼをどう理解できるかという問題を扱っていて、なぜこんなことが問題になるのか分からなかったので質問したのだが、どうも古代懐疑論解釈では有名な問題らしい。しかし、どう考えても、なぜ問題になるのか分からなかった。

昼からクーンのシンポジウムに参加したが、最初の二つの発表が、クーンが参加した学会で他にこういう発表があったとか、非常に細かい細かい歴史の話が続いて、結構退屈だった。聴衆の中に、クーンの本を書いた人(名前を失念してしまった)がいて、いろいろ鋭い質問をするので、質疑応答は盛り上がった。

この日は会場で、イランから来たM君、イタリアから来た心理学者のS君と仲良くなり、学会中はこの2人とよく話した。夜はS君と2人で、パブで少し飲み、レストランに移動して食事。コースの前菜を卵のやつにしたら、ゆで卵を4つに切って、マヨネーズかけただけのものがきて、びっくりした。あれで他と同じ値段とは、詐欺でないだろうか。

7/22
著名な心の哲学者が、認識論についての発表をしていたのだけど、認識論に対する背景的知識がないので、かなりひどいものだった。質疑応答でいろいろ聞いたけど、結構ぞんざいな対応されて、少し腹が立った。その後、カルガリーのR先生の主催する、カルナップのシンポジウムに。さほど新しい話がなく、ちょっと準備不足の人が多かったように思う。

夜はS君とまた飲みに行こうとしたら、スタニスラス広場の中にあるパブでイタリア人参加者の集団と遭遇したので、そこでまず軽く飲み。するとH先生を見かけたので、2人で食事に行くことに。食事後、広場に戻りイリュミネーションを見る。すごく豪華で、かなり楽しめた。これは一見の価値ありです。

次の日聞くと、イタリア人たちは、ディスコで夜3時くらいまで飲んだり、踊ったりしていたらしい。これがお国柄というやつだろうか。

7/23
朝一の講演が、技術者がプラズマ発生炉の構造とセキュリティシステムを延々と解説するというもので、かなり退屈だった。その後、Christopher Hitchcockの発表を聞く。これも彼の論文をそれなりに読んでるので、目新しい話はなかったが、発表はとてもうまかったし、質疑応答もユーモアとリスペクトのあるもので、発表のお手本のような感じだった。

台湾の院生らしい人の認識論の発表が、Pritchardの入門的論文のかなり問題がある要約で、あまりのひどさにびっくりする。同じところの人が後日、同じような認識論の要約を発表する予定になっていたので、台湾の認識論事情を聞こうと思って、彼女らを捜したのだが、この日以降見かけず、もう一つの発表にも姿を見せなかった。こういうことしてはいけないよなあ。

この学会はクリプキとかヒンティッカがキャンセルで残念に思っていたが、この日講演予定のMichael Fridmanもキャンセルになった。なので、同じ時間帯のM君の発表へ。

夜は京大の若手のN君、O君とピザを食べた後、学会イベントで、クラシックコンサートへ。なかなか楽しめた。

7/24
日曜なので学会はお休み。その代わり、希望者のみの観光ツアーがあった(有料)。僕はロレイン地方の歴史ツアーというのにした。バスで40分ほどかけて、地方の古城に移動。観光ガイドの英語がいまいちで、あまり身のある話は聞けなかったのが残念。城は入れる場所がかなり限定されていて、これもあれだった。その後、本来城の中庭でとるはずだった昼食を、雨なので近くのレストランでとる。めちゃくちゃ大きいサンドイッチで、全部食べきれなかったので、残りは夕食用に持って帰る。昼食時は、今までもちろん知っていたけど話したことのなかったS谷さんが隣の席で、ちょっとびびる。

昼食後は、まず近くの(今は使われていない)ビール工場を見学。これがすごーくゆっくりしたツアーで、いい加減退屈したころに、ビールの試飲があったので、満足。その後、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスの指が祭られている教会へ。これはかなり趣があって良かった。

京大を退官されたU御大が、教会のツアーの後で"No misbehavior?"と聞いてきたので、"Fortunately no, but this is unusual for me"と返したら、結構受けた。

このツアーで、アメリカのM大学の院生と仲良くなった。ホテルに帰ってぶらぶらしていると、また出会ったので、彼に付き合い、昨日と同じピザ屋へ。就職の難しさなどを嘆き合う。

7/25
ようやく自分の発表の日。僕の一つ前の発表が、DeRoseの文脈主義のこれまた問題のある要約を延々とやっていて、司会が何回言っても止めずに、原稿を読み上げ続けている。結局、時間大幅オーバーで終了。後で聞いたら、物理学の院生で、友人に会うためにフランスに来たくて、旅費の援助を受けるために学会に来るという名目が必要だったので、適当に勉強して発表したらしい。まるで文脈主義に興味もないということで、なんじゃそれは、という感じ。

この学会は、1000語の要約だけの査読で、ほとんどノーチェックだと思うので、発表の質の差がありすぎる。ただ、論理学系はある程度審査が厳しいと聞いたりもした。他分野が緩いのは、ヨーロッパではそういった分野がまだ弱いので、それらの発表を奨励しようという意図があるのでは、と知り合った研究者が推測していた。

自分の発表は、まあうまくいったと思う。認識論者は聴衆にいなかったので、質問も楽なものばかりだった。発表後R君から褒められて、満足。

この日は日本の母校のK先生と再会。イギリスで別の学会を聴きにいった帰りに寄ったとのこと。夜は、母校つながりでH先生、K先生と食事して、またイリュミネーションを見る。

7/26
最終日。結構疲れてきて、あまり発表を聞かず。O君のものと、他の日本の方の発表を聞く。O君は英語がかなりのもので、発表も堂々たるものだった。ただ、日本人はやはり質疑応答になるとリスニングが難しく、皆苦戦していた。

夜はO君、N君とぶらぶらしてから食事に。ここで食べた牛の骨髄入りのオニオンスープがめちゃくちゃおいしかった。

この学会は専門がかぶる人は全然いなかったものの、いろんな人と話したし、質問もそれなりにしたので、まあ満足した。日本の研究者の人も、ほとんど面識のない人ばかりだったので、挨拶ができたのは良かった。
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2010年07月24日

Relevant Alternatives Theory

博論に忙殺されて、全く更新できませんでした。9月に口頭諮問なので、結構間にあうか心配ですが、とりあえず今日は一段落着いたところなので、久々に更新。

Relevant Alternatives Theoryというのは、頻繁に言及される割に、いまいち誤解が多い立場であるとおもう。まず、この'theory'が言うことは、非常に単純で、以下のようなものである。

Necessarily, if S knows p, then S can exclude every relevant alternative to p

つまり、pを知っているということの必要条件として、Sがpに対する「relevantな選択肢」全てを排除できる、と置く。ここで、選択肢(alternative)と呼ばれるのは、pと論理的に両立不可能な命題のことである。

最大の誤解として、この'theory'は、内在主義や外在主義といった知識、ないし正当化の理論では全くない、ということだ。これらの理論は、知識ないし正当化を、一応非循環的な形で定義することを目的としている。しかし、relevant alternatives theoryは、そもそもそういう目的を持っていない。このことは端的に、'exclude an alternative'ということがどういうことなのかが、まるで定義されてないことに現れている。

単純に考えると、p'という選択肢を排除できる、ということは、「p'が偽だと知っている」ということと同一視できるように思われる。すると、先の条件が言っているのは、

Necessarily, if S knows p, then S knows ~p', where p is logically incompatible with p'

ということになる。これは、実のところ、いわゆる認知的閉包原理(epistemic closure principle)の特殊ケースにすぎない。何故なら、この原理は、

(Closure) Necessarily, if S knows p, and knows that p entails q, then S knows q

というものであり、当たり前だが、pとp'が論理的に両立不可能ということは、pが~p'を含意(entail)する、ということを含意するからである。最初の条件とClosureが異なるのは、'S knows p is logically incompatible with p''が、明示的に書かれていないことで、この点はやややっかいなのだが、ほとんどの論者(特に内在主義者)は、これを付け加える必要があるということを是認するだろう(そして外在主義者は、Closureに現れる'knows that p entails q'を必要としないことが多い)。

relevant alternatives theoryは、結局'know p'や'(can) exclude q'というものを何らかの形で定義しなければ、なにも実質的なことを言っていない。この'theory'から、いきなり興味深い認識論的帰結が出てくるように語る人がいるが、これは誤りであるか、暗黙のうちに、何らかの定義を前提にしているだけである。

典型的には、relevant alternatives theoryは、反懐疑論戦略として持ち出されることが多い。懐疑論的な可能性、例えばBIV仮説、「Sが水槽の中の脳(BIV)である」という選択肢は、普段はrelevantではないが、懐疑論が持ち出されたときにはrelevantになり、それを排除できないが故に、経験的命題pをSが知らないということが導かれる、などと論じられたりする。

このような説明が説明になるのは、何らかの特定の知識の理論(例えば、Nozickのsensitivity theory)を想定したときだけである。例えば、内在主義的な証拠主義に、このような説明は適用できない。

この種の説明は、何故通常はpを知っているのに、懐疑論が提示されるとpを知らないということになるのか、あるいは我々がそう思ってしまうのか、の説明として通常提示される。しかし、そうならば、通常pを知っているのだから、closureから、通常「SはBIV仮説が偽だと知っている」ということが導かれなければおかしい。そしてこれが言えれば、「SはBIV仮説を排除できる」と言えるはずである('exclude p''が'know p''よりも強いということは考えられない)。それ故、BIV仮説が何故懐疑論が持ち出されたときだけ排除できなくなるのか、という点が説明されなければ、relevanceの変化に訴えることは、まるで説明になっていない。

この問題を回避する一つの方法は、BIV仮説がrelevantになったときには、'exclude BIV'ができるための条件そのものが変化すると、置くことだ。しかし、これまた先の条件に、この点に関する実質的説明を付け加えない限り、成立しない。

このような意味で、relevant alternatives theoryというのは、何ら説明的、あるいは実質的「理論」ではない。
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2010年03月31日

学会報告(2)

3月27日、学会2日目。

この日も全然寝られず、4時過ぎからスライドの見直しをしていた。Stich氏と朝飯を一緒に食べようという話になっていたので、7時半に隣の彼の部屋に行くと、早く起きたから先に行くよとメモが貼ってあったので、レストランに移動。

ここでもう1人の招待講演者Beebe氏と初顔合わせ。あなたが論文を書いたGenerality Problemについて博論を書いているので、この学会中に是非時間があれば、それを議論したいですと言うと、二つ返事で引き受けてくれた。この人もすごくいい人だった。

大学までの行き方がよく分からないというので、経済学の招待講演者や海外からの他の発表者皆を案内してホテルから移動。特にYaleのM君とは、うちの大学からYaleの博士に行った共通の友人がいるので、結構盛り上がった。

んで、まず僕の英語の入門講義。これはけっこううまくいって、他の招待講演者、とくに経済系の人にすごく褒められた。よかったよかった。

経済学の入門講義、そしてEdo氏の招待講演は、すごく面白かったし、勉強になった。やはり、実験経済学と哲学には、いろいろ共通点がある。Shu-Heng氏の講演は、歴史的な入門だったが、一部専門用語が理解できず、完全にフォローできなかった。

Stich氏の発表は、実に熱意のあるもので、従来の哲学と実験哲学の相違や、その革新性を説明するのに、彼ほど適任はいないと思った。僕の入門講義にも、いろいろ言及してくれて、ありがたかった。

ポスター発表もいろいろ見て回る。日本からもいくつかの実験結果の報告があって、おーと思ったのだが、ちょっと実験設計に問題があるものが多かったように思う。

その後の懇親会は、台湾の経済学者と、信念、知識という概念を巡って、いろいろ議論した。この人は頭の回転が速くて、話していて楽しかった。

帰り道はBeebe氏と、僕の博論についていろいろ議論。僕のアイデアと彼の論文の批判について、賛成してくれたので、かなり励みになった。博論のドラフトも読んでみたいので送ってくれと言われた。この学会の裏の目的一つを達成。

3月28日、学会3日目。

またまたあまり寝られず。朝からまず一般発表。同時に4つの発表があって、絞るのが大変で、結局ほとんど海外からの哲学系の発表しか聞けなかった。質問もしまくったし、発表者とは議論もいろいろした。特にM君とは、彼の実験に対する僕の仮説も話して、いろいろ有意義な議論ができた。彼とはほんと仲良くなって、夏に遊びに来いと言われたで、嬉しかったな。

んで、僕の招待講演。まあ、それなりにそつなくこなせたかな。質問もいろいろ出たし、その後結構皆から褒めて貰った。Beebe氏には、どっかに投稿すべきだと言われたし。

ここで仕事が全て終わった安心感から一気に気が抜けて、次のFischbacher氏の講演は、前半全然話を聞いてなかった。申し訳ない。次のBeebe氏の講演は、実に見事。一つ質問したけど、あまり明晰でなく、またテクニカルな質問過ぎて、迷惑をかけてしまった。

んで、また皆を引き連れて祇園まで移動。日本の友人達にいろいろ迷惑をかけた。僕はその後、この友人達に合流して、飲み会。いつものように盛り上がる。彼らと飲めるというのが、まあ日本に来たときの最大の楽しみの一つだ。

3月29日

んで次の日、朝飯を食いにいくと、Stich氏がいた。この学会中、彼とちょいちょい例の日本語の知識概念を研究するための方法について話し合っていたのだが、ここでいろいろと話を詰めることができた。この計画をこれから動かしていって、将来的には日本で実験できたらいいな。途中でBeebe氏も合流したので、3人でしばらくまったりする。

Stichに哲学の小道への道順を教えた後、僕は別れて実家に。久々に姪の顔を見る。でかくなったなー。この日は疲れがどっとでて、買い物に行った後爆睡。

3月30日

空港で、他の家族と待ち合わせて、いっしょに昼飯を食べ。それからまず成田へ。やはり成田で、おおいに迷う。ほんとなんでこんなに分かりにくいんだろう。んで、バンクーバー、カルガリーまで帰ってきました。

しかし、意義深い学会だった。いろいろ疲れたけど、なんだかんだいって一番得したのは、僕かもしれないな。Beebe氏やStich氏とは、これからも連絡を取り合って行くことになったし、Stich氏とはうまくいけば、共同研究することになるかも。

日本の哲学関係は出席者が少なくて、あまり顔を覚えて貰うという目的が果たせなかったけど、まあ、それ以上にいろいろ収穫があった学会でした。僕の講義、講演ばかり聴かされる方もしんどかったと思うけど、ほんと出席してくださった皆さんありがとうございました。
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学会報告(1)

3月26日から28日まで京都産業大学で開催された実験経済学と実験哲学の国際会議に出席してきました。以下はその報告です。僕個人の日記もかねて、カルガリーを発つところから。

3月23−4日

明け方までちょっと他の書類の作成などしていて、寝たのがもう明け方で、起きたら8時過ぎ。8時半に家を出ようと思っていたのに、慌てて空港へ向かう。バスの接続が結構良くて、あまり時間のロスをせずに済んだ。

そこから、バンクーバー、成田と乗り換えて、中部国際空港まで。いつも思うが、成田はかなり最低の空港で、あるべきところにサインがなく、いつも迷ってしまう。あれほど分かりにくい空港はない。飛行機の中ではずっと映画を見るか寝ていて、4本くらい見た。

夜に実家につき、ほっと一息。

3月25日

朝飯を食べて、まずは大阪に移動しようと、実家から名古屋行きの電車に乗る。するとおかんから電話で、家にスーツ忘れてったとのこと、がーん、いつもそんなもんもって歩かないので、すっかり失念していた。しかも急行なので、なかなか降りられない。なんとか降りて、また実家に戻る、あーあ。

ほんで予定よりだいぶ遅れて名古屋へ。そこから新幹線で大阪まで向かう。大阪駅下車後、国際免許の更新のため、免許更新センターへ。駅に降りて、いやー、すっかり都会になったなー、と歩き回るも、全然見つからない。それもそのはず、伊丹で降りなきゃ行けないのに、何故か尼崎で降りていた。この日はぼけぼけの一日。

なんとか免許更新をすませ、京都へ。ホテルで京産大のO先生と待ち合わせ、茶店で雑談兼、明日の打ち合わせ。その後、好物のトンカツを一人で食べて、ホテルに帰る。やはり日本は食べ物がうまいなー。

その後、3股のプラグを日本のコンセントを挿せるようにするアダプターを買いに、ビッグカメラに。ところがこれがうまくはまらない。スライドの見直しのためにパソコンを使う必要があるので、他に電気屋を探さないとなと、エレベーターの前に行くと、どこかで見たような人がいる。おそるおそる「あのー、完璧に間違っているかもしれませんが、Stich先生でないですか」と聞くと、やはりそうだった。さっき着いて、お金をおろしたいのだが、見つけたATMが使えなくて、ちょっと困っているというので、それなら僕がなんとかしますよ、と2人で京都駅校内をATM探してうろうろ。何個か見つけるも、全部だめで、案内所でATMが固まってある場所を教えて貰って、ようやくお金がおろせた。

んで、ちょっと小腹が空いていると彼が言うので、2人で近くの回転寿司に。いや助かった、おごるので何でも食べてくれと言われたんだけど、既にトンカツをたらふく食べていたので、お茶だけにした。彼は4皿ほど食べて、600円という値段に、何でこんな安いのと驚いていた。

食べながらいろいろ話をして、この学会に来た目的は、日本語の知識概念と英語の知識概念の相違に興味があるので、それを調べたいのに協力者を募りたいというのがあるんだ、と言われた。僕はまあ、認識論が専門で、英語の知識概念にはネイティブよりも詳しいと思うが、日本語のそれとなると、確かに全然違うとは言えるけど、あまりきちんと考えたことがないですね、と言うと、だから調べる価値があるんだと力説さらた。いや、予想していたとおり、すごく情熱的で研究に対する熱意のある人だった。もっと怖い人かなと思っていたけど、優しい人だった。、

3月26日

当たり前だが来たばかりでそうとうの時差ぼけがあり、4時間くらいしか寝ないまま、5時前に目が覚めた。この日やる予定だった、日本語の入門講義のスライドを見返したりしながら、7時過ぎにホテルを発ち、京都産業大学へ。少し早く来てと言われていたのだけど、8時と早すぎる時間に着いたので、時間をつぶす。時間ぎりぎりまで誰も来なくて、結局打ち合わせなしで講義することになった。

ほんで、日本語の講義。出席者は、友人を含む哲学関係者数人と経済学関係者15人くらいだったと思う。日本語で講演するのは久々だったが、まあそれなりにくつろいでできた。ところが、休憩はさんだ後半の講義を何故か1時間だと勘違いしていて、そこでありがとうございました、と言ってしまった。もう30分あるということで、慌てて仕切り直し、でもおかげで予定していた通りの内容がきっちり終われた。

最初マイクが使えなくて、途中で用務員の人に直してもらったのだが、その人がUSBメモリーのふたを持って行ってしまったようだ。ゴミと間違えたんだろうなー。このふたを頻繁になくしていて、唯一ふたがまだついているやつを持ってきていたのだけど、これもなくなってしまった。

質問もいろいろ出て、なかなか楽しくできた。しかし、いつも思うがもう少しうまく答えられたなと思う。

その後経済学入門を日本語で聞かせて貰う。経済学と哲学ではプレゼンの仕方がかなり違うな、という印象を受けた。

んで、まずビッグカメラに行ってアダプターを取り替えて貰って、友達のKさんと、東大のN先生ゼミの人たちに合流。初めてきちんとお会いしたのだけど、実に楽しい飲み会だった。

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2010年02月12日

ダライ・ラマと中国

あまり哲学以外の話をここで書く気はなかったのですが、これは多くの人に知っておいて貰いたいな、と思ったので。

去年の秋に、僕の住むカナダ、カルガリー市にダライ・ラマが来ました。市を挙げて歓迎し、いろいろなイベントがありました。そのときに、うちの大学も彼に名誉学位を授与するなどしたようです(全然知らなかったですが)。なんとこのせいで、最近中国がうちの大学を国公認の海外大学から除くという決定をしました。今後はうちの大学で取得した単位は中国では認められないということですし、現在うちの大学には中国からの留学生がかなり多いのですが、彼らの既存の取得単位も今後どうなるか分からないという状況です。これは、いくらなんでもひどいなと思うので、多くの人に知って貰いたいと思います。

詳しくは以下の記事をお読みください。

China removes accreditation from University of Calgary after Dalai Lama honour

Chinese ministry warns against attending University of Calgary

Alberta hopes diplomacy could soon restore U of C to Chinese list
posted by hakutaku at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

Zotero

個人的なことなのだが、長年使い慣れたSleipnirからFirefoxに乗り換えることにした。数年前にちょっと使ってみて、タグ周りの操作性の違いがいやですぐにやめてしまったのだが、今回はプラグインを導入することで、同じような感覚で使えるようにした。

乗り換えの最大の理由は、Zoteroを使いたかったからである。以前博士論文の計画書を書いたときに参考文献リストをつくるのが非常に面倒だったことから、EndnoteなどのReference Managementソフトを購入しようと最近真剣に考えていた。ところが便利なもので、ほぼ同様の性能のものが無料で手に入るではないか。Zuteroを知らない人は以下のページから宣伝用のフラッシュを一度見て貰いたい。現在まだデータベースを構築している最中だが、はやくも便利すぎて手放せそうにない。

http://www.zotero.org/documentation/screencast_tutorials

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2008年01月10日

最近のあれこれ

ゲティア問題について、何か書こうとしていたのだが、だらだらしているうちに、少し忙しくなってしまった。現在、まさにこの問題についての論文を執筆中なのであります。短いものなのですぐに終わると思うが、しばしお待ちを。

本日大学の本屋で、Alexander Millerの"Philosophy of Language"の第二版を見かけた。この本は大昔に読んで以来、幾度か読み返している。非常にバランスのとれた言語哲学の入門書で、また読みやすくて大変良い。認識論の方もここ数年入門書をチェックしていないので、時間をとって読みたいものだ。Richard Feldmanのものがいいらしいのだが、これは図書館にないんだよなあ。僕の指導教官であるJ先生は、Keith Lehrerの"Theory of Knowledge"、第1版を気に入っているらしく、彼の認識論入門の授業の前にしょっちゅう読み返していた。しかし、この本今は第2版しか手に入らなくて、僕もそれしか持っていないのだ。同様にJohn Pollockの"Contemporary Theories of Knowledge"も1版の方が名高いと思うのだが、これまた絶版である。

まあネットで古書店を探せば手にはいると思う。ただこちらで本を買うと日本に持ち帰るのが手間なのでだいぶ控えるようにしている。欲しい本はいろいろあるんだけどなー。最近買った本は、Stephen C. Levinsonの"Presumptive Meanings: The theory of generalized conversational implicature"。この本は最近の認識論で頻繁に参照されるので、読まざるをえない。ああ、この本が話題となる、InvariantisimとWMAの対立も紹介したいなー。うーむ、書きたいことはいろいろあるのだが、どうもさぼり気味でいかんな。知り合いであるY氏のブログのように、もうすこし学問的なことを書きたいのだが、そういうことをかくのはやはり時間がかかるということで、どうしても後回しにしてしまう。Y氏はどうやってそういう時間を捻出しているのだろうか。
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2007年12月11日

近況

せっかく再開したのに1ヶ月以上も開いてしまった、すいません。

11月に入ってから、博士論文の計画書を書き上げために、あまり他のことをしている余裕がありませんでした。僕の学校ではは30-50ページの計画書を書き、その口頭試問を3年目の秋学期の終わりまでに受けなければいけないのです。僕の場合、実際の試験は来月になりそうなのですが、計画書は今月中旬に審査員に渡さなければいけません。

まあ先週2回目の草稿を指導教官に見せて、本日ほとんどオッケーと言われたので、なんとか期日には間に合うでしょう。

内容は文脈主義に関わるものです。日本にいた頃から、海外に行って文脈主義の研究をしたいと思っていたのですが、まあ特に具体的に考えていたわけでもなく、ただの夢のようなものでした。あれから3、4年ぐらいで、ここまでそれがかなうとは人生はわからないものだなあ。

僕は日本の大学院に結構長いこと在籍したわけですが、やはり研究環境や待遇面でこちらの大学の方が圧倒的に優れていると思うところが多いです。最近は自分の研究が充実していることもあり、つくづく来て良かったなあと思っています。

これからはもう少し更新するので、今後もよろしくお願いします。
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2007年10月03日

ひさしぶりに

拠点をmixiに移して活動していたんだけど、あまりにも使いにくいのと、哲学関係以外の人も見ることが多くなってきて、コアな哲学の話がしにくくなってきた。だから哲学の話題はここでしようかなとも考えている。

日本では哲学関係のブログは1時ほども盛り上がっていないような気がする。海外では相当な数があり、高名な哲学者も書き込んでいて活発なんだけどなあ。まあ僕の専門の認識論はとくに日本では認知度が低いということもあって、あんまり認識論の話にならないなあ。

僕は昔から日本のメインストリームとはほど遠いところにいるなあという感覚が強い。日本でも認識論は一時若干盛り上がる気配があったけど、どうなのかな。

まあ、これからぼちぼちと哲学の話を書き込んでいきます。
タグ:お知らせ
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2005年06月24日

帰郷

実に1ヶ月ぶりの更新になってしまった。留学のために、10年以上住んだ下宿を引き払い、実家に身を寄せている。 感慨にふけるまもなく、準備に追われて、気付いたら引っ越し当日を迎えてしまった。何しろほとんどのものを捨てたにせよ、 本が5000冊くらいあり、多くの人の手を借りてようやく準備が整ったくらいなのだ。この場を借りて、その人たちに感謝したい。

カナダへの出発まで後一週間もなく、かわらずどたばたし続けると思うが、向こうでもこのブログは書くつもりである。というわけで、 本格的な再開までもう少し待って頂きたい。

posted by hakutaku at 19:54| 兵庫 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

読書

最近読んでいる本は、Martin Kuschの" Knowledge By Agreement: The Programme Of Communitarian Epistemology"である。知識の担い手は、個人ではなく共同体であるというテーゼを掲げ、 その含意を様々な立場の批判と共に詳述している。今まで読んだところだと、基礎付け主義の批判がなかなか面白いなと思った。 こういう批判は大いにありそうなものなのだが、今まで聞いたことがなかった気がする。とにかくいろいろな立場が検討され、批判されてゆく。 マクダウェルの批判などもあって、誰かに意見を聞いてみたい気もするな。

posted by hakutaku at 01:27| 兵庫 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

グイン・サーガ

昨日は久しぶりに読書。グインサーガ101巻『北の豹、南の鷹』を読む。うーむ、相変わらず台詞ばかりで、描写は少ない。 しかも大仰で中身のない形容詞の連呼に悲しくなる。昔はこんなじゃなかったのになあ。スカールが雄弁になりすぎて、 別の人のようになっている。このタイトルも予告時は興奮していたのだが、本来スカールがグインに伝えると構想されていたはずのグル・ ヌー情報を、既にグインが持っているので、スカールの存在意義がなくなってしまっている。最近のグインサーガは読むたびに悲しくなるが、 やめられないのだ。

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2005年05月16日

き、記憶がー

キャンセル待ちの結果、無事に航空券をゲット。ほっと胸をなでおろす。実家に近い、名古屋国際空港から飛ぼうと思っていたのだが、 カナダ行きがなかった、格安チケットだからかな。名古屋から成田まで飛んで、そこからデトロイト経由でトロントというルート。 まあ標準的だし、待ち時間も少ない。良かった良かった。

某大学の先輩とセラーズについて話す。最近全然セラーズを読んでなかったので、いろいろなことを忘れている。たった2, 3年前のことなのに、あれだけ読んでも忘れてしまうんだな、と悲しくなる。

セラーズは古典的経験主義のドグマとして、知識の究極的基盤は感覚与件であるという認識論的基礎付け主義と、 概念の内容が感覚与件に由来するという考えの二つを挙げる。言うなればセラーズ版、経験主義の二つのドグマだ。「経験主義と心の哲学」では、 この両者が明示的に区別されることなく批判されている観が強い。しかし、最近のマイケル・ウィリアムズの解釈などを見ると、 セラーズの焦点はあくまで後者にあり、後者の問題が解決されれば、基礎付け主義の誤りも同時に明らかになるとされている。セラーズの関心は、 認識論にはなく、タイトルが示すように、あくまで心の哲学にあるというのが、彼の解釈である。この解釈をとると、 かなりすっきりする部分も多いのだが、そこまで断定できるのかどうか?セラーズはこのドグマ二つは絡み合っているといっているので、 両者を明確に分離しようと意図していなかったようにも思える。

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2005年05月13日

移転一日目

さて、移転第一日目である。

留学準備だけど、ビザ申請の書類をようやく昨日カナダ大使館に送ることができた。留学の目的や予定を英語で書かなくてはいけないのが、 一番面倒だったな。不首尾がなくて、無事にビザが取れますように。なにしろ6月30日からトロントでの宿を予約してあるので、 一回でもビザが不許可で、再申請になったらもう間に合わないのだ。

第一回にしては情けないが、本日は忙しいので、これまで。

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