2008年04月21日

文脈主義の歴史

文脈主義と言われる立場は認識論でいろいろあるのだが、現在この言葉は基本的にCohen, DeRose, Lewisらによって90年代に提唱された意味論的文脈主義を指すということが、もはや習慣化している。Cohenは88年の論文で文脈主義を議論しており、他の二人よりもやや早い(ただルイスは70年代に既に文脈主義的な認知的様相の取り扱いを提案しており、それが現在の形式意味論に与えた影響は相当に大きい)。

文脈主義の歴史という点では、コーエンよりも早くに似たような立場を肯定的、批判的に論じた人はいろいろいる。比較的有名な文脈主義の先駆者としては、David Annis, Gail Stine, Peter Ungerがいる。しかし文脈主義の基本アイデアというのは比較的シンプルで、実のところ他にも多くの人が同じようなことを考えている。というか、relevant altenatives theoryの支持者のほとんどは、relevanceの基準は文脈的に決定されるというアイデアを一度は論じている。例えば、この理論の提唱者の一人である、AustinやAlvin Goldmanがそうである。Austinは文脈主義的なアイデアを肯定的に捉えているが、Goldmanは否定的だ。他に、少なくとも僕が気づいた限りでMark Heller, David Shatz, Crispin Wrightなどが80年代にすでに文脈主義の萌芽と見なしうるようなアイデアに言及している。またDavid Whiteも91年に極めて独創的な文脈主義の1バージョンを提唱している、彼のアイデアはどちらかというとcontrastivismとの類似性が強いが。

他にはウィトゲンシュタインも文脈主義と見なせるかもしれないが、やはり彼の立場は他と異なりすぎているので、意味論的文脈主義の一立場とは見なせない。彼のアイデアに依拠するMichael Williamsもこの前書いたように統一性のない立場なので、よく分からないところだ。特に後者は、文脈主義を基礎付け主義、整合説の代案としての正当化についての立場として定義しているので、この部分を真剣に受け止めると、これは認識論的性質についての一立場であり、意味論的立場とはいえない。ただまあAnnisも同様の定義を彼の文脈主義に対してしている。

まあ、文脈主義の歴史はWilliamsによれば古代のカルネアデスまでさかのぼるらしいので、その辺まで考慮に入れるとなると、これまた一筋縄でいかないテーマなのだ。

このブログはあまり書いてない割に、毎日ブックマークからとんできてくれる人がかなりの数いるようだ。うーむ、どういうことを書くのがいいのだろうか。カナダの院生生活についてはmixiの方で書いているので、こちらでは哲学の話にフォーカスしているのだが、これで良いのかなあ。


posted by hakutaku at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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