2007年10月27日

不一致の認識論1

この週末は隣の州のサスカチュワン大学でWCPA(Western Canadian Philosophical Association)の会議があり、ブランダムがゲストとして招かれている。しかし、うちの大学ではなぜかこの金、土で認識論のシンポジウムがあり、認識論をやっている僕としてはこちらに出ることにした。CPAに行く人も多いんだから、その辺意識してスケジュールを組めば良かったのになあ。

The Epistemology of Disagreementというのがシンポジウムのタイトルで、講演者はPeter van Inwagen, Richard Feldman, Jeniffier Lackeyの3人。この「不一致の認識論」というのは、本当に数年前から論じられるようになったテーマで、かなり新しいものである。このテーマで論じられる問題はいくつかあるが、例えば、認識論的に見て同格の二つの認識主体(たとえば同じ証拠を持っている認識主体)が、ある問題に対して不一致であるということは、その二人のどちらかが非合理であるということを意味するのかというのが主な問題。

とりあえず昨日はvan Inwagenの講演を聴いたが、不一致はどちらかが非合理であることを意味するが、どう考えても両者が合理的であるにも関わらず不一致が存在するというケースがあると強調していて、パラドクスとしてこの問題を理解しているように見えた。

本日はこれから他二人の講演を聴きに行きます。Lackeyはちょっと凄みのある美人で、スーツをパリッと着こなしていて実にかっこよかった。あまり哲学者に見えないと言うのは、褒め言葉にはならないかな。
posted by hakutaku at 23:59| Comment(2) | TrackBack(1) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「不一致の認識論」
 この問題を一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に解くには、問題自体が、ここでの説明では、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に特定されていない感じなのですが・・・・。

 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
 創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。
 一般法則論者
Posted by 一般法則論者 at 2007年10月29日 16:02
ええと、何と答えればいいのか。要するに、

1、A、Bの両者は共に合理的である。
2,A、Bは互いの論証、証拠に関する理解を共有する。
3、A,Bは互いの論証の結論を共有しない。

これらの命題がすべて真である(少なくともそう見える)状況があるにも関わらず、これらから矛盾が導かれてしまうと言う意味で、パラドクスなのです。

ただパラドクスというものは、問題自体が意味のすり替え(equivocation)の産物であるということはよくあるので、意味を明確にすれば、問題などなかったということが分かるというはあり得ますね。そのアプローチがこの問題に対して有効なのかは僕には分かりませんが。

なお、僕はこの問題の専門家ではないので、これ以上の質問されても、答えられないと思います。何しろたまたまこういう学会があって、そこで講演を聴いただけなので。
Posted by hakutaku at 2007年10月29日 18:45
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