2009年12月22日

Propositional Justification と Doxastic Justification

ものすごーく久しぶりの更新。最近は博論執筆と非常勤が忙しすぎて、全然ブログを書く暇がなかったです。いろいろとネタはあるんだけど…。

最近日本語で書かれた認識論関連の文献をいくつか読む機会があったのですが、改めて翻訳って難しいよなーと思った。特に、

S is justified in believing p

を、「Sはpを信じる点で正当化されている」とか「Sはpを信じることが正当化されている」と訳すのは、かなりミスリーディングなのではないかと思う。僕の日本語の理解では(最近かなり怪しくなってきているが)、これらの文は共に、「Sがpを信じている」という文を含意する。しかし、'S is justified in beliving p'は'S believes p'を含意しない。英語そのものがそういう含意を持っていないし、また両者は、周知のように、古典的知識の定義の3つの条件のうちの2つであり、もしこの含意が成立するとすれば、'S believes p'が余分になってしまう。

また認識論では、propositional justificationとdoxastic justificationが区別され、前者が古典的定義のこの条件で捉えられているものである。すなわち、pという命題がSにとって正当化されているということと、Sの信念p(より正確には、Sがpと信じていること)が正当化されているということが区別される。この区別は非常に重要なので、先の翻訳の問題点は、この区別を見過ごしてしまうことにある。

もっと良い翻訳はないかなと考えてみたが、全然思い浮かばない。一般に、'S is justified in believing p'は'S has justification for believing p'と同義だとされているので、「Sはpと信じるための正当化を持っている」と訳すぐらいしか、解決が見当たらない。何かいい案をお持ちの方がいれば、ぜひ教えてもらいたい。

これは単に翻訳の問題だけではなく、日本ではこの区別がほとんど知られていないので、文献を読みながら、正当化という概念をやや誤解している人がいるという印象を受けた。

僕は今でも認識論の入門書をいろいろ読むのだが、この区別を説明してあるものとして、Richard FeldmanのEpistemologyという本がすごく良いと思う。とても薄い本だが、かゆい所に手がとどくというか、初学者や一部の専門家でさえ誤解しやすいところが、きちんと解説してある。ただし、propositional justificationとdoxastic justificationの区別をきちんとやろうとすると、いろいろややこしい問題が出てきて、未だにこれだというものは出ていない。



posted by hakutaku at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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