2008年11月17日

一つの誤解

またまったくブログを更新していなかった。今学期はほんとうに自分の勉強がうまくいかず、あまりモチベーションがあがらなかったということがある。ここまで勉強がすすまなかった学期はなかなか珍しい。ただまあ、知識の価値というテーマについて、ある程度文献を読み込んだので、この分野についてのまとまった知識が手に入った。また、博士論文の序章を今書いていて、それなりに満足行くできになってきているので、全く無駄に時間を過ごしたわけではない。ああ、今experimental philosophyについての授業も聴講しているので、それなりにこの分野にも詳しくなってきた。だいぶ近年の認識論については、隙がなくなってきたと思う。

さて、いろいろ認識論の文献を読んでいると、あー、これって広く広まっているけど、誤解だよなーと思うことがある。例えば、ゴールドマンの信頼性主義が、ゲティア反例を処理するようにデザインされているというのが、その一つである。この誤解は主に、Brandomの信頼性主義擁護を引用する連中、例えば、Kornblithに見られる。Brandomが誤解しているので、それをそのまま引き継いでいるというわけだ。

過去にゴールドマンが、信頼性主義を使ってゲティア問題に対処しようとしたことはない。誤解する人が挙げるゴールドマンの1979年のBarn facade Caseを問題にする論文は、信頼性主義からそれに対処するという構造になっていない。この論文でゴールドマンはある種のcounterfactual conditionを反例に耐える知識の条件として提示するが、それは直接彼の信頼性主義とは関係がない。

最もゴールドマンは、グローバルな信頼性主義とローカルな信頼性主義を区別し、counterfactual accountsは後者に属するとする。そして彼は両者の信頼性主義は、知識の二つの必要条件を提示するとするので、ある意味で信頼性主義が(後者のと言う意味で)ゲティア反例に対処するように作られているというのは正しい。ただ一般に、ゴールドマンの信頼性主義というときには、グローバルな信頼性主義、いわゆるプロセス信頼性主義を指すのであり、誤解している人たちはこの区別を全く念頭に置いていない。

ローカルな信頼性主義とグローバルなそれのどちらか一方で十分なのか、両方必要なのかというのは、認識論における問題の一つで、ずっと議論が続いている。ただまあ、最近の認識論のはやりではないなー、この問題は。

日本ではKornblithは人気があるようなので、この誤解をしている人が多いと邪推するのだが、どうだろうか。



posted by hakutaku at 15:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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