2008年06月28日

Contextualism v.s Subject-Sensitive Invariantism

先ほどの記事で、「Purismと呼ぶ、知識はepistemic factorにスーパーヴィーンするというほとんど全ての認識論者が受け入れてきた見解を否定することになる」と書いたのだが、これは極めてミスリーディングな言い方だと気付いた。もう一度、僕の理解する限りでのPurismをまとめておくと、

(Purism) For all S and p, necessarily, wether or not the relation expressed by a sentence of the form 'S knows p' holds for S and p depends exclusively on the epistemic factors of S, given that p is true and S believes p.

となる。以前の定式化が問題があるのは、「知識」という語の理解の仕方によっては、文脈主義もPurismの否定だととられる可能性があるからだ。文脈主義はPurismと整合的であり、それが文脈主義の一つの魅力である。他方、Subject-Sensitive InvariantismはPurismを否定する。この両者の違いは実に微妙なところで、本職の認識論者でも区別せずに論じることが多い。例えば、Duncan PritchardがStanleyの本の書評を書いたときに、PritchardがあたかもSSIをContextualismの変種であるかのように書いたので、Stanleyが怒り心頭といった感じのコメントを書いたことがある。最近でもいったい両者のどこがちがうんだと有名なブログのCertain Doubtsでいろいろ議論されていた。

今ここで僕の理解を書いておくと、以下のようになる。まずSubject-Sensitive Invariantismという名称そのもの(これはDeRoseが命名者なのだが)がミスリーディングなので、Stanleyの言うInterest-Relative Invariantismという名前を採用して話を進めたい。この立場の含意するImpurismとは、当然Purismの否定であり、それは上記の定式化のexclusivelyを取っ払うことによって得られる。epistemic factor以外にpragmatic factorも重要だというのが、この立場の中核である。

さて文脈主義は、

(Contextualism) the semantic content expressed by 'know' varies from context to context. Then, the relation a token of the sentence 'S knows p' expresses in a context may differ from that which another token does in a different context.

という立場である。したがって'S knows p'という文の真理値が状況aとbで異なっているということの説明を、文脈主義はこの文が表す関係が変化したという点に求める。この際、そうした文脈によって異なる個々の関係をSが満たすかどうか、すなわち'S knows p'のトークンの真理条件はPurismによって与えられる。Invariantismはそもそも文脈主義の否定であり、'S knows p'という文が表す関係は、文脈によって変化しないとする立場である。Interest-Relativismはさらに、真理値の状況的変化の説明を、epistemic factorは一定であると規定されても、pragmatic factorが変化しているという点に求める。従ってImpurismが帰結する。

話がややこしいのは、ContextualismとInterest-Relativismは整合的であり、Contextualist Interest-Relativismは全く論理的に可能な立場だとということである(Interest-Relative Invariantismが端的にContextualismと対立する点は、そのInvariantismでしかない)。しかし、以前の記事で書いたように、この両者を受け入れることはファクターの過剰を招くので、Michael WilliamsとJohn Grecoぐらいしか支持者がいない。この両者にしても、ちょっと上で書いたことに対する理解が怪しいので、どこまでこのキメラ的立場にコミットしているのかは謎である。

Contextualismはあくまで'S knows p'という文のトークンが何を表現するのかということに関するlinguisticな立場であり、Interest-Relativismはどのようなファクターが「知る」という関係をSがpに対して持つことを規定するのかということに関わる、実質的な認識論的立場である。Interest-Relative InvariantismのContextualismに対する反論は、Interest-Relativismを認めれば、そうしたlinguisticな立場にコミットすることなく、これまでContextualismが説明を与えるとされてきた真理値の状況的変化を説明できるということである。

というわけで両者は全く種類の違う理論であり、やはり一緒くたにはできないよなー。ただまあ、認識論プロパー以外から見れば、両者は相当似て見えるに違いない。

実は最近ある雑誌のために書評を書いたときに、スペースの都合上、この辺をぼかして書いて、つっこみがはいらないかどきどきしながら編集者の返事を待っているところである。指導教官のJeremy Fantlにこれまずいですかねと聞くと、まあその両者を一緒にするのは認識論の内部でさえも極めて普通だから、あんまり気にしなくてもいいんじゃないとのことだった。ただStanleyのように気にする人は気にするからなー。




posted by hakutaku at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/101728706

この記事へのトラックバック