2010年02月11日

マクダウェルとSSI

ジョン・マクダウェル(John McDowell)は、subject-sensitive invariantismにコミットしている。このことは全く知られていないが(MacFarlaneがある論文で、言及しているだけ)、その理由は、彼がこのアイデアを論文の註で言及しただけで、本格的に展開しなかったためだろう。彼の論文、Knowledge by Hearsay (in Meaning, Knowledge, and Reality, Harvard University Press, 1998)の註24が、問題の註である(この論文は、SSIが台頭する以前の1993年に書かれている)。

Note that the standards can depend on what is at stake. Consider again the case of the child at school. If nothing turns on it, we might casually credit her with knowledge of the arrangement of the furniture in the living room of her house. But if we tell the story so that something that matters a great deal to her depends on whether she is right, it may become doxastically irresponsible for her to vouch for the layout’s being as she recalls it to be. In such circumstances, it starts to be significant for her epistemic status that her parents may have moved the furniture, and she is in a position to know that that kind of thing does happen. (Knowledge by Hearsay, fn 24, p. 429)

SSIにはいろいろヴァージョンがあってややこしいのだが、ここではFantl&McGrath,Stanley, Hawthorneのヴァージョン全てに共通する、「どの程度のepistemic statusが知るために要求されるのかという知識の基準は、認識主体にとってのstake、つまりpragmaticな関心によって変動する」、というアイデアが明確に書かれている。違いは、マクダウェルは、知識の必要条件を、認知的責任を持つこととみなす、正当化についての内在主義的でdeontologicalな見方をとっていて、この認知的責任がepistemic statusの少なくとも1要素だとする、という知識論を採用しているところ。一番近い立場は、伝統的な内在主義者のFantl&McGrathのヴァージョンのSSIだろうな。でも彼らは認知的責任については、何も語っていない。

さらに言うと、マクダウェルは正当化についての内在主義者で、正当化には証拠を(内在主義的な形で)持つことが要求されるとする、証拠主義者である。しかし、彼は、証拠の同一性基準として、認識主体の主観的弁別性ではなく、外的条件をとる、証拠についての外在主義者である。正当化の内在主義と、この意味での証拠の外在主義は、両立可能な立場である。マクダウェルが認識論内で誤解され続けたのは、証拠の外在主義というのが斬新すぎて、ほとんどの人が思いつきもしなかったのが理由だ。例えば、正当化についての外在主義者も、ほとんど皆、証拠についての内在主義者である。現代の認識論で証拠を巡る議論が整備されたのは最近で、Williamsonの登場以降である。やはり、彼の認識論への貢献はとてつもなく大きい。WilliamsonのKnowledge and Its Limitsは、DeRoseがここ数十年の認識論関係の著作で卓越していると評していたが、やはりそうだと思う。ただこの本は、ほんとに読むの苦労するのだ。

閑話休題。SSIも文脈主義と同じく、哲学史のあちこちに顔を覗かせる。しかし、SSIが一哲学立場として確立するのは、何より上述の支持者達が、pragmaticなファクターが知識に影響を与える、ということを説得的な論証で示したからである。そうした論証なしのアイデアの披瀝というのは、哲学ではあまり重要ではない。でも、こういうのを調べるのが、哲学史の面白さの一つではある。

この註は、2年くらい前にマクダウェルを勉強し直しているときに見つけ、Fantlに報告して、面白いコメントが聞けたのだが、無許可で書くのも問題なので、ちょっとここでは書けない。申し訳ない。

というわけで、有名人と文脈主義シリーズの2回目。正確に言うとSSIは文脈主義ではないが。
posted by hakutaku at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする